【追悼】2021 (165/209)

マーシャル諸島ビキニ環礁での米国の水爆実験で被ばくした遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の元乗組員、大石又七(おおいし・またしち)さんが3月7日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため神奈川県三浦市の病院で死去した。87歳だった。 1934年1月、静岡県吉田町生まれ。新制中学校を中退して漁師になった。第五福竜丸では冷凍士として乗船。54年3月1日、ビキニ環礁近海で操業中に水爆実験に遭遇、被ばくした。 差別や偏見を恐れ、東京に移り住んでクリーニング店を営んだ。被ばくから約30年が過ぎた83年、都内の中学生からの依頼で初めて自身の体験を明かし、以降、講演活動に注力。小中学校を中心に、「核は人類に害を与え続ける」などと、平和憲法の維持や核兵器の廃絶を訴えた。 肝臓がんや糖尿病などを患い、2012年4月には脳出血で倒れた。右半身が不自由となったが、リハビリをしながら活動を続け、講演は700回を超えた。19年に三浦市の介護施設に入所していた。 マーシャル諸島の島民とも交流があり、実験から60年となる14年3月には、「自分の強い思いを伝えたい」と首都マジュロでの追悼式典に参加。東京電力福島第1原発事故による海洋汚染の問題にも触れ、「核兵器も原子力発電も、私は断固反対します」などとスピーチした。 著書に「死の灰を背負って」「ビキニ事件の真実」など。写真は16年5月撮影 【時事通信社】