【追悼】2021 (112/209)

さまざまな分野で著作を残し、「知の巨人」とも評されたジャーナリストで評論家の立花隆(たちばな・たかし、本名橘隆志)さんが4月30日、急性冠症候群のため、入院先の病院で死去した。80歳だった。長崎市出身。 1940年生まれ。北京に渡り、終戦後引き揚げ、水戸市で育つ。64年東京大文学部仏文学科卒。文芸春秋で週刊誌記者として働いたが、約2年半で退社。同学部の哲学科に学士入学し、在学中に「立花隆」の名でルポライターを始めた。 74年、調査報道に基づく「田中角栄研究―その金脈と人脈」を発表。時の首相の金権政治の実態を暴いた特集は、同年12月の内閣総辞職の引き金となり、一躍名をはせた。 執筆分野は幅広く、政治、社会、人文、生命科学分野など多岐にわたった。日本人科学者がノーベル物理学賞を受賞した素粒子ニュートリノ研究など、最先端科学技術の取材に力を入れ、サイエンスライターとしても知られた。 東大大学院や立教大で特任教授となり、学生を指導。放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会委員、日本文学振興会評議員なども務めた。 2007年にぼうこうがんが発覚。翌年には冠状動脈の機能不全が見つかり、心臓の手術も受けた。その後も取材意欲は衰えず、月刊誌の巻頭随筆の連載を続ける一方、晩年を意識したような著書も出版。20年に刊行された「知の旅は終わらない」では、「死んだ後については、葬式にも墓にもまったく関心がありません」とつづっていた。「生命の大いなる環の中に入っていく感じがいいじゃないですか」とも記し、葬儀は5月4日に樹木葬で営まれた。 1983年菊池寛賞、98年司馬遼太郎賞。主な著書に「日本共産党の研究」「宇宙からの帰還」「脳死」「死はこわくない」など。 写真は2012年10月撮影 【時事通信社】