【追悼】2021 (150/209)

大相撲元関脇麒麟児の垂沢和春(たるさわ・かずはる)さんが3月1日、多臓器不全のため死去した。67歳だった。日本相撲協会が4月13日に発表した。 千葉県柏市出身。二所ノ関部屋から1967年夏場所初土俵、74年初場所新十両、同年秋場所新入幕。入幕4場所目で小結、6場所目に関脇昇進。きっぷのいい突き押しで人気があり、同じ53(昭和28)年生まれの北の湖、横綱2代目若乃花らとともに「花のニッパチ組」と呼ばれた。激しい突っ張りの応酬となる富士桜戦は、昭和天皇のお好みの取組だった。 殊勲賞4回、敢闘賞4回、技能賞3回。88年秋場所で引退するまで幕内を84場所務めた。 引退後は年寄北陣を襲名。二所ノ関部屋付きの親方として後進の指導に当たり、2018年3月に日本相撲協会を定年退職した。写真は1987年初場所の土俵に上がった元関脇麒麟児の垂沢さん 【時事通信社】