【追悼】2021 (102/209)

プロ野球の中日などで強打者として活躍して通算2000安打以上、300本塁打以上を放ち、日本ハムの監督も務めた大島康徳さんが6月30日午前、大腸がんのため東京都内の病院で死去した。70歳だった。大分県出身。日本ハムが発表した。 大島さんは2017年に自身の公式ブログで、16年に大腸がんが発覚し、肝臓に転移していることを公表した。 大分・中津工高からドラフト3位で1969年に中日に入団。長打力と勝負強さを生かし、76年は11本塁打のうち代打本塁打が7本。79年に36本塁打、103打点の好成績、83年には36本塁打で初の本塁打王を獲得した。 88年に日本ハムへ移籍し、90年に39歳で通算2000安打を達成。94年を最後に現役を引退した。通算2204安打、382本塁打、1234打点をマーク。シーズンで打率3割以上(規定打席)、30本塁打以上が各3度、歴代2位の通算代打本塁打20本などを記録した。 2000年から日本ハムの指揮を執り、3年間で1年目の3位が最高。06年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本代表の打撃コーチとして優勝を経験した。その後は野球解説者を務めていた。写真は93年撮影 【時事通信社】