【追悼】2021 (22/209)

ラグビーの早大監督や日本代表監督を務めた日本ラグビー協会名誉顧問の日比野弘(ひびの・ひろし)さんが11月14日、死去した。日本協会が15日に発表した。86歳だった。関係者によると、最近は体調を崩して自宅で療養していた。 東京都出身。都立大泉高から早大に進み、俊足ウイングとして活躍して日本代表にも選ばれた。引退後、1970年度に早大監督に就任。1年目に全国大学選手権を制し、日本選手権でも新日鉄釜石を破り優勝した。計4度にわたり指揮を執り、73、74年度も大学日本一。日本代表も指揮し、83年の英国遠征では強豪ウェールズに24―29と善戦した。 日本ラグビー協会では副会長や会長代行など要職を歴任。早明戦や日本選手権などのテレビ解説者としても親しまれた。日本体育協会(現日本スポーツ協会)では常務理事や国体委員長を務めてスポーツ界に貢献した。 日本でのワールドカップ(W杯)開催に情熱を燃やし、2011年大会招致委員会の委員長として活動。招致はかなわなかったが、19年日本大会開催への大きなステップとなった。日本ラグビーの記録収集にも熱心で、11年に「日比野弘の日本ラグビー全史」を出版した。 【時事通信社】