【追悼】2021 (21/209)

プロ野球広島の中心選手として活躍し、監督になってチームを3度の日本一に導いた古葉竹識(こば・たけし)さんが11月12日に死去していたことが分かった。85歳だった。16日、家族が明らかにした。 熊本市出身。県立済々黌高から専修大(中退)、社会人の日鉄二瀬を経て1958年に広島入団。遊撃手、二塁手として活躍した。64、68年に盗塁王のタイトルを獲得。70年に南海(現ソフトバンク)に移籍した。 75年、開幕直後に退団したジョー・ルーツ氏に代わり、39歳でコーチから監督に昇格。山本浩二、衣笠祥雄らを擁してリーグ初優勝に導き、広島市民の悲願をかなえた。 その後も猛練習と情熱で広島を常に優勝を争えるチームに育て、79年に2度目のリーグ制覇。日本シリーズでは近鉄を4勝3敗で破り、初の日本一になった。80年も勝って連続日本一を達成し、84年に三たび日本シリーズ制覇。赤いヘルメットをかぶり、機動力があって攻守のバランスが取れたチームは「赤ヘル軍団」と呼ばれた。  87年から3年間、大洋(現DeNA)監督を務め、99年野球殿堂入り。2008年に東京国際大監督となり、11年に東京新大学春季リーグ戦で初優勝に導いた。写真は1979年撮影 【時事通信社】