野村証券(現野村ホールディングス)社長を務めた田淵義久(たぶち・よしひさ)氏が11月8日、肺炎のため死去した。91歳だった。岡山県出身。 早大卒業後、1956年野村証券に入社。取締役、副社長などを経て85年に社長に就いた。 87年9月期に経常利益がトヨタ自動車を上回る国内最大の4937億円を記録し、証券業界で「ガリバー」と呼ばれる地位を固めた。89年末に日経平均株価が史上最高値の3万8915円を付けるなど東京市場が世界的に注目されたバブル期に経営を担った。 86年に野村は米政府の公認ディーラーとなり、米国投資家との取引を拡大。日本の投資家の欧米株・債券の取引機会向上に取り組み、国際派経営者としても知られた。また、血縁関係はないが同じ名字の前任社長、田淵節也氏のニックネーム「大タブ」にちなみ「小タブ」と称された。 一方、91年に大口顧客への損失補填(ほてん)など証券不祥事の責任を取って社長を辞任し、相談役に退いた。その後取締役に復帰したが、97年に総会屋への利益供与事件が起き、他の経営陣とともに退任した。写真は同年6月撮影。 【時事通信社】
2023.10.03
人物・歴史
【追悼】2023 (20/141)
野村証券(現野村ホールディングス)社長を務めた田淵義久(たぶち・よしひさ)氏が11月8日、肺炎のため死去した。91歳だった。岡山県出身。 早大卒業後、1956年野村証券に入社。取締役、副社長などを経て85年に社長に就いた。 87年9月期に経常利益がトヨタ自動車を上回る国内最大の4937億円を記録し、証券業界で「ガリバー」と呼ばれる地位を固めた。89年末に日経平均株価が史上最高値の3万8915円を付けるなど東京市場が世界的に注目されたバブル期に経営を担った。 86年に野村は米政府の公認ディーラーとなり、米国投資家との取引を拡大。日本の投資家の欧米株・債券の取引機会向上に取り組み、国際派経営者としても知られた。また、血縁関係はないが同じ名字の前任社長、田淵節也氏のニックネーム「大タブ」にちなみ「小タブ」と称された。 一方、91年に大口顧客への損失補填(ほてん)など証券不祥事の責任を取って社長を辞任し、相談役に退いた。その後取締役に復帰したが、97年に総会屋への利益供与事件が起き、他の経営陣とともに退任した。写真は同年6月撮影。 【時事通信社】