【追悼】2023 (63/141)

ウシオ電機創業者で経済同友会の代表幹事も務めた牛尾治朗(うしお・じろう)氏が6月13日に誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。92歳だった。財界きっての論客として、政界にも影響力があった。 兵庫県姫路市出身。東大法学部卒業後、東京銀行(当時)勤務を経て家業の牛尾工業に入社。1964年にウシオ電機を設立して社長に就任し、ハロゲンランプなど産業用特殊光源の専門メーカーに育て上げた。会長に就いた翌80年には東証1部上場を果たした。 59年に28歳で経済同友会に入会し、69年には日本青年会議所会頭に就任。「財界の老害」や「安閑としたもたれ合い経営は、企業内に『内ゲバ』を招く」などの刺激的発言で話題を呼び、「財界の青年将校」の異名を取った。 81年に政府の第2次臨時行政調査会(第2臨調)の専門委員に就任し、国鉄民営化などの行政改革に携わった。 95〜99年の経済同友会代表幹事時代には「市場主義宣言」を出し、民間主導型の経済実現に向け、小さな政府や規制緩和を提唱。2001年1月には政府の経済財政諮問会議の民間議員に選ばれ、06年9月に退任するまで「財界の重鎮」として小泉純一郎首相(当時)の構造改革を支えた。 KDDI会長、社会経済生産性本部会長、日本郵政社外取締役なども歴任。既成概念にとらわれず、スマートなたたずまいから、文化、芸術の分野でも幅広い交友関係があった。写真は05年12月撮影 【時事通信社】