【追悼】2023 (4/141)

元公明党委員長の竹入義勝(たけいり・よしかつ)氏が12月23日午前5時、肺炎のため福岡市内の病院で死去した。97歳だった。長野県出身。 東京都議などを経て、1967年衆院選の旧東京10区で初当選。同年、党委員長に就任した。当時の矢野絢也書記長と約20年間にわたる「竹入―矢野」時代を築いた。野党の立場で旧社会党、旧民社党と連携する「社公民路線」を推進した。 72年の日中国交正常化交渉を巡り、7月下旬に田中角栄首相の事実上の特使として中国を訪問し、周恩来首相と会談。正常化の橋渡し役を果たした。帰国後に田中首相らに報告された会談記録は「竹入メモ」と呼ばれ、9月の田中氏訪中、日中共同声明の調印につながった。 84年の自民党総裁選では、旧民社党の佐々木良作委員長と共に二階堂進副総裁の擁立劇に関与。86年に委員長を退任した。衆院当選8回。90年の衆院選には出馬せず、政界を引退した。 98年に公明党と支持母体の創価学会との「政教一致」などを指摘した回顧録を全国紙に掲載し、党や創価学会から厳しい批判を受けた。写真は86年撮影 【時事通信社】