【追悼】2023 (102/141)

現代人の魂の救済をテーマに文学的な思索を重ね、日本人で2人目のノーベル文学賞を受賞した作家の大江健三郎(おおえ・けんざぶろう)さんが3月3日、老衰のため死去した。88歳だった。 愛媛県大瀬村(現内子町)生まれ。東京大仏文科在学中に作家デビューし、1958年に「飼育」で芥川賞を受賞した。戦後民主主義世代の文学の旗手となり、右翼少年の内面を描いた「セヴンティーン」や「性的人間」などで注目された。 知的障害を抱えた長男光さんの誕生が転機となり、64年に「個人的な体験」を発表。実人生を基にした小説で、後の「新しい人よ眼ざめよ」などに連なる作品群の基点になった。 広島の被爆者らを取材し、65年にノンフィクション「ヒロシマ・ノート」を刊行。その後も「沖縄ノート」などを発表し、戦後日本が抱える問題に正面から向き合った。 67年、故郷の森を舞台に人間の再生を描いた「万延元年のフットボール」で谷崎潤一郎賞を受賞。「同時代ゲーム」でも豊かな想像力を用い、四国の村の歴史を神話化した独自の世界観を築いた。 94年、ノーベル文学賞を受賞。日本人作家では68年の川端康成以来の快挙となった。川端のスピーチ「美しい日本の私」と対比させた「あいまいな日本の私」と題して講演し、平和への切実な思いを語った。 「燃えあがる緑の木」「取り替え子(チェンジリング)」など、その後も創作意欲は衰えなかった。大江健三郎賞(2006〜14年)などを通し、若手作家の活躍も後押しした。 行動派の文化人として政治的な発言を続け、04年に護憲団体「九条の会」を結成。東日本大震災後には脱原発運動にも携わった。写真は16年5月撮影 【時事通信社】