【追悼】2023 (78/141)

プロ野球西鉄(現西武)の黄金期に強打の内野手として活躍し、西鉄、阪神などで監督やコーチを務めた中西太(なかにし・ふとし)さんが死去したことが5月18日、分かった。90歳だった。 高松市出身。高松一高時代から打撃で頭角を現し、「怪童」と呼ばれた。1952年に西鉄入団。1年目から活躍し新人王になった。 53年にはプロ野球3人目の3割、30本塁打、30盗塁を達成。同年8月、平和台球場での大映戦で放ったバックスクリーンを越える大本塁打は、推定飛距離160メートルといわれ、今でも語り草となっている。56年まで4年連続本塁打王となるなど、毎年のように三冠王に迫る成績を挙げた。西鉄では兼任監督も務めた。 日本ハム、阪神で監督、ヤクルト、ロッテでは代理監督を務めた。近鉄、巨人、オリックスではコーチとして手腕を発揮し、特に打撃指導には定評があった。 現役通算成績は打率3割7厘、244本塁打、785打点、142盗塁。監督通算748勝811敗81分で西鉄時代にリーグ優勝1回。99年に野球殿堂入りした。 妻は西鉄監督などを務めた故三原脩さんの長女敏子さん。写真は1964年7月撮影 【時事通信社】