【追悼】2023 (71/141)

参院自民党の幹事長や議員会長を務めた青木幹雄(あおき・みきお)元官房長官が6月11日死去した。89歳だった。島根県出身。 早大法学部中退。同大雄弁会に所属した。故竹下登元首相の秘書、島根県議を経て、86年の参院選に島根選挙区から出馬し初当選。当選4回。竹下派の流れをくむ「平成研究会」(現茂木派)に所属し、小渕、森両内閣で官房長官を務めた。 2000年4月に小渕恵三首相(当時、以下同)が緊急入院(同5月に死去)した際は、首相臨時代理として内閣総辞職を決定。党幹部らと協議して森喜朗幹事長を首相に担いだが、「密室政治」と批判を浴びた。 参院自民党を掌握し、野党にも太いパイプを有して「参院のドン」と称された。党参院幹事長だった03年の総裁選では、同じ派閥から出馬した藤井孝男氏ではなく、小泉純一郎首相の再選を支持。派閥は分裂状態に陥ったが、小泉政権で青木氏の発言力は増し、04年に党参院議員会長に就任。郵政民営化などの小泉路線を支えた。 07年の参院選で自民党が惨敗し、議員会長を辞任。体調不良を理由に10年の参院選に出馬せず、地盤を長男の青木一彦氏(自民党参院議員)に引き継いだ。引退後も政界に隠然と影響力を保った。写真は10年撮影 【時事通信社】