【追悼】2023 (96/141)

初代の衆院憲法調査会長を務め、与野党の憲法論議を主導した中山太郎元外相が3月15日午前、老衰のため堺市内で死去した。98歳だった。大阪市出身。 旧制大阪高等医学専門学校を卒業後、大阪府議などを経て、1968年の参院選大阪選挙区に自民党から出馬し、初当選。当選3回。86年の衆院選旧大阪5区にくら替え出馬し、当選した。衆院当選は7回。 海部内閣で約2年間外相を務め、90年8月にイラクがクウェートへ侵攻して始まった湾岸危機などに対処。政界屈指の外交通として知られた。沖縄開発庁長官も務めた。 2000年に新設された衆院憲法調査会の初代会長や衆院憲法調査特別委員長も歴任。09年の衆院選で落選後は、改憲派の論客として活躍した。 父は中山福蔵元衆院議員、母は女性初の閣僚で厚生相を務めたマサ元衆院議員。建設相などを歴任した中山正暉元衆院議員は実弟。 【時事通信】