サッカーの元イングランド代表で、地元開催となった1966年ワールドカップ(W杯)で母国の初優勝に大きく貢献したボビー・チャールトンさんが死去した。86歳だった。現役時代に所属したマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)が10月21日に発表した。同代表史上最高の選手の一人と称された名手だった。 50〜60年代に名門マンチェスターUの一時代を築いた。58年に欧州チャンピオンズカップ(現欧州チャンピオンズリーグ)準々決勝の試合後、「ミュンヘンの悲劇」と呼ばれた飛行機事故に遭い、選手8人が犠牲となったが、自身は奇跡的に生還した。 失意を乗り越え、66年にバロンドール(当時の欧州最優秀選手)を受賞。事故から10年後の68年、マンチェスターUの主将を務め、イングランドのチームで初となる欧州制覇の立役者となった。イングランド代表通算106試合に出場し、同代表歴代3位の49得点。「サー」の称号で呼ばれるナイトの爵位も授与された。 2002年W杯招致で日本の親善大使を務めるなど親日家として知られ、福島県のサッカー施設「Jヴィレッジ」の名付け親でもある。20年に認知症と診断されたことが公表されていた。写真は1969年撮影 【AFP時事】
2023.10.03
人物・歴史
【追悼】2023 (27/141)
サッカーの元イングランド代表で、地元開催となった1966年ワールドカップ(W杯)で母国の初優勝に大きく貢献したボビー・チャールトンさんが死去した。86歳だった。現役時代に所属したマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)が10月21日に発表した。同代表史上最高の選手の一人と称された名手だった。 50〜60年代に名門マンチェスターUの一時代を築いた。58年に欧州チャンピオンズカップ(現欧州チャンピオンズリーグ)準々決勝の試合後、「ミュンヘンの悲劇」と呼ばれた飛行機事故に遭い、選手8人が犠牲となったが、自身は奇跡的に生還した。 失意を乗り越え、66年にバロンドール(当時の欧州最優秀選手)を受賞。事故から10年後の68年、マンチェスターUの主将を務め、イングランドのチームで初となる欧州制覇の立役者となった。イングランド代表通算106試合に出場し、同代表歴代3位の49得点。「サー」の称号で呼ばれるナイトの爵位も授与された。 2002年W杯招致で日本の親善大使を務めるなど親日家として知られ、福島県のサッカー施設「Jヴィレッジ」の名付け親でもある。20年に認知症と診断されたことが公表されていた。写真は1969年撮影 【AFP時事】