【追悼】2020 (81/186)

新たな個人主義と「顔の見える大衆社会」を提唱、消費文化論ブームの火付け役となった「柔らかい個人主義の誕生」などで知られる評論家で劇作家の山崎正和(やまざき・まさかず)氏が8月19日、悪性中皮腫のため兵庫県内の病院で死去した。86歳だった。 京都市生まれ。少年期を旧満州(中国東北部)で過ごし、京都大哲学科卒。同大大学院在学中から戯曲を執筆し、1963年に将軍・足利義満と能の達人を光と影の関係として捉えた「世阿彌」で岸田国士戯曲賞を受賞。その後、評論活動も開始し、近代日本文明論「劇的なる日本人」で72年芸術選奨新人賞、73年には森鴎外論に新たな視座を与えた「鴎外 闘う家長」で読売文学賞を受けた。 関西大、大阪大教授、東亜大学長を歴任、教育者として後進の育成に当たる傍ら、「オイディプス昇天」などの劇作、「病みあがりのアメリカ」「不機嫌の時代」「柔らかい個人主義の誕生」の文明評論など、学問やジャンルの枠にとらわれない幅広い視野で活動を展開。サントリー文化財団副理事長も務め、社会文化活動にも尽力した。 自らを「文化的保守」と位置付け、佐藤栄作内閣以来、時々の政権のブレーン役を務めた。政府の「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」メンバー(2001〜02年)や文部科学相の諮問機関である中央教育審議会会長(07〜09年)なども歴任した。 06年に文化功労者に選ばれ、11年日本芸術院賞・恩賜賞、18年には文化勲章を受けた。写真は同年撮影 【時事通信社】