日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)顧問で、代表委員を務めた広島の被爆者、岩佐幹三(いわさ・みきそう)さんが9月7日午前3時19分、膵臓(すいぞう)がんのため、千葉県船橋市の自宅で死去した。91歳だった。福岡県出身。 16歳の時、爆心地から約1.2キロの広島市中区富士見町の自宅で被爆。家の下敷きとなった母親は目の前で焼死し、爆心地近くにいた妹は遺体も見つからなかった。父親は既に病死しており、原爆孤児となった。 叔母の支えで名古屋大を卒業し、1953年から金沢大法学部の教官に。米国の水爆実験で「第五福竜丸」が被ばくした54年、金沢市で目にした反核を訴える漁師の演説に触発され、被爆者運動に携わるようになった。 60年に石川県原爆被災者友の会を設立し、会長に就任。2000年に日本被団協の事務局次長、11年に代表委員へ就任し、オバマ米大統領(当時)の広島訪問にも立ち会った。写真は17年6月撮影 【時事通信社】
2020.06.11
人物・歴史
【追悼】2020 (69/186)
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)顧問で、代表委員を務めた広島の被爆者、岩佐幹三(いわさ・みきそう)さんが9月7日午前3時19分、膵臓(すいぞう)がんのため、千葉県船橋市の自宅で死去した。91歳だった。福岡県出身。 16歳の時、爆心地から約1.2キロの広島市中区富士見町の自宅で被爆。家の下敷きとなった母親は目の前で焼死し、爆心地近くにいた妹は遺体も見つからなかった。父親は既に病死しており、原爆孤児となった。 叔母の支えで名古屋大を卒業し、1953年から金沢大法学部の教官に。米国の水爆実験で「第五福竜丸」が被ばくした54年、金沢市で目にした反核を訴える漁師の演説に触発され、被爆者運動に携わるようになった。 60年に石川県原爆被災者友の会を設立し、会長に就任。2000年に日本被団協の事務局次長、11年に代表委員へ就任し、オバマ米大統領(当時)の広島訪問にも立ち会った。写真は17年6月撮影 【時事通信社】