【追悼】2020 (29/186)

高校野球の強豪、常総学院高(茨城県土浦市)の元監督で、取手二高(同県取手市)時代を含め春夏3回の甲子園優勝経験を持つ木内幸男(きうち・ゆきお)さんが11月24日、肺がんのため取手市内の病院で死去した。89歳だった。茨城県出身。 土浦一高を卒業後、同校コーチを経て取手二高監督に就任し、1977年夏に甲子園初出場。84年夏、石田文樹投手(故人)、吉田剛内野手らを擁し、茨城県勢初の全国制覇に導いた。決勝では桑田真澄投手、清原和博内野手らのいるPL学園(大阪)の連覇を阻んだ。 常総学院高に移り、87年夏に島田直也投手、仁志敏久内野手らを率いて準優勝。選抜大会でも94年準優勝、2001年優勝。03年夏は決勝でダルビッシュ有投手(現カブス)がいる東北(宮城)を下して優勝した。同年勇退。07年秋に復帰し08、09年夏の甲子園大会に出場した。 奇襲攻撃や多彩な選手起用は「木内マジック」と呼ばれた。監督で甲子園通算22回(春7、夏15)出場。歴代7位の通算40勝(19敗)を記録した。写真は08年撮影 【時事通信社】