【追悼】2020 (26/186)

サッカーの1986年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会でアルゼンチン優勝の立役者となり、スーパースターと呼ばれたディエゴ・マラドーナさんが11月25日、母国の首都ブエノスアイレス郊外の自宅で死去した。60歳だった。ブエノスアイレス州ラヌース出身。今月2日、貧血や脱水症状を訴えて入院した。硬膜下血腫と診断され、3日に手術を受けて11日に退院。自宅療養していた。検察当局によると、死亡時間は25日昼ごろ。報道によれば、死因は心臓発作。 「サッカーの王様」ペレ(ブラジル)と並び称された20世紀屈指の名選手。左足のキックを得意とし、ボールを操る卓越した技術と類いまれな攻撃センスを誇った。77年に史上最年少の16歳でアルゼンチン代表デビュー。79年に日本で行われた世界ユース選手権(現U20ワールドカップ)でチームを優勝に導き、最優秀選手に輝くなど早くから才能を見せた。 2度目の出場となった86年W杯は、「マラドーナのための大会」と呼ばれた。準々決勝のイングランド戦の2得点は、選手としてのハイライトに。ハンドを取られずゴールが認められた「神の手」と、ドリブルでの「5人抜き」がサッカー史に残る逸話となり、アルゼンチン優勝の原動力となった。90年イタリア大会でも準優勝を経験。プロ選手としてはボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)、バルセロナ(スペイン)、ナポリ(イタリア)などで活躍した。 94年W杯米国大会でドーピングが発覚して大会から追放されて以降は名声が色あせ、健康問題や奇行などスキャンダルも多かった。97年の引退後はアルコールやコカインの中毒に苦しみ、危篤に陥ったことも。ベネズエラの故チャベス大統領ら中南米の左派指導者に心酔し、公の場での反米発言で物議を醸した。監督としては、10年W杯南アフリカ大会で母国を率いるなどした。写真は1986年6月撮影 【AFP時事】