ダイナミックで確かな歌唱力を駆使し「ヴァケーション」や「人形の家」などの曲をヒットさせた歌手の弘田三枝子(ひろた・みえこ、本名竹永三枝子=たけなが・みえこ)さんが7月21日午後10時31分、心不全のため千葉県内の病院で死去した。73歳だった。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。 小学生の頃から米軍キャンプで歌うようになり、1961年に14歳で「子供ぢゃないの」でデビュー。その後も「ヴァケーション」など海外のカバー曲を数多くヒットさせ、65年には日本人として初めて米国の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」への出演も果たした。 69年には一転してしっとりした雰囲気の「人形の家」を発表、人気となり、日本レコード大賞歌唱賞を受賞。自身の経験を基にした著書「絶対やせる ミコのカロリーBOOK」はベストセラーとなり、ダイエットブームの先駆けとなった。写真は1965年撮影 【時事通信社】
2020.06.11
人物・歴史
【追悼】2020 (95/186)
ダイナミックで確かな歌唱力を駆使し「ヴァケーション」や「人形の家」などの曲をヒットさせた歌手の弘田三枝子(ひろた・みえこ、本名竹永三枝子=たけなが・みえこ)さんが7月21日午後10時31分、心不全のため千葉県内の病院で死去した。73歳だった。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。 小学生の頃から米軍キャンプで歌うようになり、1961年に14歳で「子供ぢゃないの」でデビュー。その後も「ヴァケーション」など海外のカバー曲を数多くヒットさせ、65年には日本人として初めて米国の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」への出演も果たした。 69年には一転してしっとりした雰囲気の「人形の家」を発表、人気となり、日本レコード大賞歌唱賞を受賞。自身の経験を基にした著書「絶対やせる ミコのカロリーBOOK」はベストセラーとなり、ダイエットブームの先駆けとなった。写真は1965年撮影 【時事通信社】