【追悼】2020 (76/186)

戦後間もない1947年に福岡県の旧制小倉中、48年に新制小倉高のエースとして夏の甲子園大会で連覇を果たした福嶋一雄(ふくしま・かずお)さんが8月27日、十二指腸がんのため北九州市内の病院で死去した。89歳だった。福岡県出身。 右横手投げの技巧派。47年春の選抜中等学校野球大会で準優勝。同年夏の全国中等学校優勝野球大会で九州に初めて優勝旗をもたらした。48年、全国高校野球選手権大会となった夏の甲子園で5試合全て完封し、学制改革にまたがる連覇を果たした。夏の5試合連続完封は、39年の嶋清一投手(和歌山・海草中=現向陽高)と福嶋投手だけが記録している。 49年夏は準々決勝で敗退。試合後、無意識にグラウンドの土をすくい、ユニホームのポケットにしのばせた。その様子に感動した大会関係者の手紙で、土を持ってきたことに気づき、自宅の植木鉢に入れた。このエピソードから「甲子園の土を持ち帰った選手」のはしりとされている。 早稲田大に進んで東京六大学野球リーグ優勝、社会人野球の八幡製鉄でも都市対抗大会優勝などを経験した。現役引退後は日本野球連盟の理事、九州地区理事長などを歴任。2013年には特別表彰で野球殿堂入りした。写真は同年1月撮影 【時事通信社】