1964年東京五輪のバレーボール女子で金メダルを獲得し、「東洋の魔女」と呼ばれたメンバーの主力だった井戸川絹子(いどがわ・きぬこ、旧姓谷田=たにだ)さんが、12月4日に脳出血のため死去した。81歳だった。葬儀は家族葬で営まれた。 大阪府池田市出身。中学2年でバレーボールを始め、大阪・四天王寺高を卒業後、58年にニチボー貝塚に入社。全日本のエースアタッカーとして活躍し、62年の世界選手権優勝、2年後の東京五輪金メダルに貢献した。。 大松博文監督(故人)の厳しい指導の下、コーチ兼務のセッター河西昌枝主将(故人)らと共に猛練習に明け暮れた。。 現役引退後はママさんバレーの指導と普及に努めた。新型コロナウイルスの影響で実現しなかったが、東京五輪(来夏に延期)に向けた聖火リレーに参加する予定だった。写真は2020年2月撮影 【時事通信社】
2020.06.11
人物・歴史
【追悼】2020 (21/186)
1964年東京五輪のバレーボール女子で金メダルを獲得し、「東洋の魔女」と呼ばれたメンバーの主力だった井戸川絹子(いどがわ・きぬこ、旧姓谷田=たにだ)さんが、12月4日に脳出血のため死去した。81歳だった。葬儀は家族葬で営まれた。 大阪府池田市出身。中学2年でバレーボールを始め、大阪・四天王寺高を卒業後、58年にニチボー貝塚に入社。全日本のエースアタッカーとして活躍し、62年の世界選手権優勝、2年後の東京五輪金メダルに貢献した。。 大松博文監督(故人)の厳しい指導の下、コーチ兼務のセッター河西昌枝主将(故人)らと共に猛練習に明け暮れた。。 現役引退後はママさんバレーの指導と普及に努めた。新型コロナウイルスの影響で実現しなかったが、東京五輪(来夏に延期)に向けた聖火リレーに参加する予定だった。写真は2020年2月撮影 【時事通信社】