三味線や小唄を織り交ぜながら、小気味良い掛け合いで人気を集めた漫才コンビ「内海桂子・好江」の内海桂子(うつみ・けいこ、本名安藤良子=あんどう・よしこ)さんが、8月22日、多臓器不全のため死去した。97歳だった。東京都出身。 幼い頃に奉公に出された後、三味線などのけいこを始め、1938年に漫才師としてデビュー。50年、14歳年下の内海好江さんとコンビを結成。突っ込み役の好江さんに対し、常識人の役回りを演じ、女性漫才師の第一人者として活躍した。一方、テレビのドラマやトーク番組、映画などにも出演した。 82年に漫才では初めて芸術選奨文部大臣賞を受賞。95年、勲四等宝冠章を受けた。 97年に好江さんが亡くなった後も、寄席で都々逸を披露するなど芸能活動を続け、98年には漫才協団(現漫才協会)会長にも就任。99年、24歳年下のマネジャーと結婚して話題を集めた。晩年まで舞台に立ち続けるとともに、80歳を超えてから始めたツイッターにも頻繁に投稿、49万人ものフォロワーを集めた。ナイツなど若手の育成にも尽力した。 主な著書に「転んだら起きればいいさ」など。写真は2012年10月撮影 【時事通信社】
2020.06.11
人物・歴史
【追悼】2020 (75/186)
三味線や小唄を織り交ぜながら、小気味良い掛け合いで人気を集めた漫才コンビ「内海桂子・好江」の内海桂子(うつみ・けいこ、本名安藤良子=あんどう・よしこ)さんが、8月22日、多臓器不全のため死去した。97歳だった。東京都出身。 幼い頃に奉公に出された後、三味線などのけいこを始め、1938年に漫才師としてデビュー。50年、14歳年下の内海好江さんとコンビを結成。突っ込み役の好江さんに対し、常識人の役回りを演じ、女性漫才師の第一人者として活躍した。一方、テレビのドラマやトーク番組、映画などにも出演した。 82年に漫才では初めて芸術選奨文部大臣賞を受賞。95年、勲四等宝冠章を受けた。 97年に好江さんが亡くなった後も、寄席で都々逸を披露するなど芸能活動を続け、98年には漫才協団(現漫才協会)会長にも就任。99年、24歳年下のマネジャーと結婚して話題を集めた。晩年まで舞台に立ち続けるとともに、80歳を超えてから始めたツイッターにも頻繁に投稿、49万人ものフォロワーを集めた。ナイツなど若手の育成にも尽力した。 主な著書に「転んだら起きればいいさ」など。写真は2012年10月撮影 【時事通信社】