【追悼】2022 (78/150)

大相撲の元横綱2代目若乃花で、引退後は間垣親方として日本相撲協会理事などを務めた下山勝則(しもやま・かつのり)さんが7月16日、肺がんのため大阪市内の病院で死去した。69歳だった。 青森県大鰐町出身。同郷の元横綱初代若乃花の二子山親方(当時)に連れられ、後の横綱隆の里と同じ夜汽車で上京して1968年名古屋場所初土俵。20歳で新十両。十両を2場所で通過し、73年九州場所で新入幕を果たした。 均整の取れた柔らかい体と切れの良い右上手投げが持ち味で、77年初場所後に大関、78年夏場所後に横綱昇進。若三杉から若乃花に改名した。 けがや病気もあって優勝は4回にとどまったが、優勝次点も多く、28場所連続勝ち越しなど安定した成績を挙げた。女性ファンに人気があり、同い年の北の湖らと昭和の土俵を盛り上げた。 83年初場所限りで引退。間垣部屋を興して五城楼、若ノ城らの幕内力士を育てた。年寄名跡制度改革をめぐって境川理事長(当時)に反発し、98年には理事選挙に立候補し、相撲協会の理事選を初めて投票に持ち込んで当選した。 2007年に脳出血で倒れた後も、リハビリをしながら弟子を指導し、横綱照ノ富士の入門時の師匠だったが、部屋経営や年寄名跡の手当てが困難になり、13年に相撲協会を退職した。写真は1978年撮影 【時事通信社】