【追悼】2022 (100/150)

アマチュア野球指導者として多くの選手を育て、1984年ロサンゼルス五輪の野球(公開競技)で日本代表監督として金メダルを獲得した松永怜一(まつなが・れいいち)さんが12日午前2時51分、老衰のため横浜市内の病院で死去した。90歳だった。福岡県出身。 福岡・八幡高、法政大で内野手として活躍。卒業とともに東京・法政一高(現法政高)監督に就任し、60年春、61年夏に甲子園大会出場を果たした。65年春から70年秋まで法政大監督を務め、田淵幸一、山本浩二、富田勝の「法政三羽ガラス」や山中正竹らを擁して東京六大学リーグで6度優勝するなど、黄金時代を築いた。 71年に社会人の住友金属監督となり、日本選手権で2度優勝。ロス五輪では日本代表監督として金メダルを獲得した。その後は日本オリンピック委員会(JOC)選手強化本部長などを歴任。2007年野球殿堂入りした。写真は2016年撮影 【時事通信社】