【追悼】2022 (117/150)

漫画家コンビ、藤子不二雄の一人で、「忍者ハットリくん」「怪物くん」「プロゴルファー猿」など数々の人気作品を世に出した藤子不二雄(A)(ふじこ・ふじお・えー、本名安孫子素雄=あびこ・もとお)さんが川崎市内の自宅で死去した。88歳だった。富山県出身。 神奈川県警によると、4月7日午前8時40分ごろ、安孫子さんの自宅敷地内で男性が倒れていると通報があった。駆け付けた警察官が、現場で死亡を確認した。 小学校の同級生だった故藤子・F・不二雄(本名藤本弘)さんとコンビを組んで漫画を描き始め、1951年、高校生の時に2人の連名で描いた「天使の玉ちゃん」でデビュー。卒業後は2人の名前から取ったペンネーム「藤子不二雄」として漫画家を続けることを決意し、54年に上京。故手塚治虫さんや故石ノ森章太郎さん、故赤塚不二夫さんらと共に豊島区のアパート「トキワ荘」の住人となり、創作活動に没頭した。64年に連載を始めた「オバケのQ太郎」が大ヒットし、人気漫画家の仲間入りを果たした。 「ドラえもん」「パーマン」など主に児童漫画を描いた藤子・Fさんに対し、「魔太郎がくる!!」「笑ゥせぇるすまん」といったブラックユーモアものを得意とし、ギャグから劇画まで幅広いジャンルを手掛けた。2人が作品を描き分けていた事実は、87年にコンビを解消した際に初めて明らかにされた。2人の作品は多くがアニメ化され、世代を超えて親しまれている。 コンビ解消後は、自作漫画を基に映画「少年時代」を90年にプロデュース。テレビ出演やエッセー執筆など活躍の場を広げる一方、漫画家活動も継続。自伝的作品「まんが道」は、連載開始から43年を経た2013年に完結させた。 05年に日本漫画家協会賞文部科学大臣賞、08年には旭日小綬章を受けた。写真は18年撮影 (C)藤子スタジオ 【時事通信社】