【追悼】2022 (30/150)

元プロ野球ロッテの投手、村田兆治さんが11月11日、東京都世田谷区の自宅の火災で死去した。72歳だった。1970〜80年代の日本球界を代表する名投手だった。 広島県出身。広島・福山電波工高(現近大広島高福山)からドラフト1位で68年に東京オリオンズ(現ロッテ)に入団した。足を高く上げ、右腕を豪快に振り下ろす「マサカリ投法」に投球フォームを改造して頭角を現し、74年に12勝を挙げ、金田正一監督の下で日本一に貢献した。 右肘を痛め、83年に靱帯(じんたい)再建手術(通称トミー・ジョン手術)を受けた。長期のリハビリを経て84年のシーズン後半に復帰し、85年に17勝を挙げて完全復活。日曜日に登板して勝利を重ね、「サンデー兆治」の異名を取った。 40歳で迎えた90年に10勝を挙げながらも引退。150キロを超える速球とフォークを武器に最多勝1度、最優秀防御率3度、最多奪三振4度、最多セーブ1度。実働22年で通算成績は604試合に登板して、215勝177敗33セーブ、2363奪三振、防御率3.24。 引退後は95年から97年までダイエー(現ソフトバンク)で投手コーチを務めた。2005年に野球殿堂入りした。写真は1989年撮影 【時事通信社】