【追悼】2022 (135/150)

元東京都知事で、旧日本維新の会共同代表などを務めた石原慎太郎(いしはら・しんたろう)元衆院議員が2月1日死去した。89歳だった。神戸市出身。 一橋大法卒。在学中の1956年、若者の無軌道な生き方を描いた「太陽の季節」で芥川賞を受賞。その後、保守の立場からの評論活動を展開するとともに、国会議員、都知事としても活躍し、2015年に旭日大綬章を受章した。 政界デビューは68年。自民党公認で参院全国区に立候補し、300万票を超える得票でトップ当選を果たした。72年に衆院にくら替えし、75年に辞職して都知事選に出馬したが、現職の故美濃部亮吉氏に敗れた。その後、国政に復帰し、環境庁長官、運輸相を歴任。89年には自民党総裁選に立候補するなど衆院通算8期を務め、95年に再び辞職した。99年に都知事選に再挑戦し初当選。以後、2011年に4選を果たすまで、いずれの知事選でも他候補を圧倒した。 都知事としてディーゼル車の排ガス規制に取り組んだほか、中小企業支援を目的に「新銀行東京」を設立するなど存在感を示したが、12年10月に突然辞任。当時の橋下徹大阪市長率いる日本維新の会に合流し、同12月の衆院選に比例代表東京ブロックから立候補して当選、17年ぶりに国会に戻った。 13年1月には橋下氏とともに共同代表となったが、「東京勢」と「大阪勢」の路線対立もあり、同党は分裂。石原氏は次世代の党を結成し、最高顧問に就任したが、14年12月の衆院選で落選し、政界を引退した。 保守派ながら、米国とは一線を画す立場を取り、現行憲法の破棄と日本の核保有を主張。また、自衛隊の式典で「三国人」と述べたり、東日本大震災に関連し「天罰」と発言、後に撤回したりするなど、社会的弱者やマイノリティーへの配慮を欠く発言で物議を醸すことも多かった。 戦後の国民的スターで俳優の故裕次郎氏は実弟。長男は自民党元幹事長の伸晃氏。次男はタレントの良純氏で、三男の宏高氏は同党衆院議員。写真は2020年撮影 【時事通信社】