【追悼】2022 (45/150)

「燃える闘魂」のキャッチフレーズで昭和のプロレス全盛期をもたらし、若者のカリスマ的存在として人気があったアントニオ猪木(あんとにお・いのき、元参院議員、本名猪木寛至=いのき・かんじ)さんが10月1日、心不全のため自宅で死去した。79歳だった。難病「全身性アミロイドーシス」で闘病生活を送っていた。 横浜市出身。家族とブラジルへ移住し、1960年に17歳で力道山にスカウトされて日本プロレス入り。「コブラツイスト」「卍(まんじ)固め」「延髄斬り」などを得意技にジャイアント馬場、ザ・デストロイヤーらとともにプロレスブームを巻き起こした。 72年に新日本プロレスを設立し、タイガー・ジェット・シンらの外国人スターを売り出してファンを獲得。76年にボクシングの世界ヘビー級王者、モハメド・アリと「異種格闘技戦」を行うなど、常に話題をまいた。 89年にスポーツ平和党を結成し、参院選で初当選。90年の湾岸危機でイラクが在留日本人らを事実上の人質にした際は、バグダッド入りして解放実現に尽力した。95年参院選で落選した後は日朝親善活動に取り組み、2010年に北朝鮮から勲章を授与された。 13年参院選に日本維新の会から立候補し、18年ぶりに政界復帰。次世代の党、日本を元気にする会を経て、会派「無所属クラブ」などで活動した。議員在職中、政府や参院の自粛要請にもかかわらずたびたび訪朝し、「登院停止30日」の懲罰を受けた。19年参院選に出馬せず、政界を去った。 プロレスは98年に現役を引退したが、その後もイベント企画などを手掛け、「1、2、3 ダァーッ」の掛け声や「闘魂ビンタ」で若者に活を入れるパフォーマンスが人気を集めた。14年には平壌でプロレス興行を行った。写真は1976年3月撮影、プロボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリさんと東京・日本武道館で格闘技世界一を懸けた一戦の様子 【時事通信社】