【追悼】2022 (68/150)

日本の服飾界の草分けで、ファッションデザイナーの森英恵(もり・はなえ)さんが8月11日、老衰のため東京都港区の自宅で死去した。96歳だった。島根県出身。 1947年に東京女子大を卒業。結婚後に自分や子供の服を作ろうと洋裁学校に通った。51年に東京・新宿に洋裁店「ひよしや」を開き、デザイナーとして出発。50年代の日本映画最盛期に「太陽の季節」「狂った果実」など、約500本の映画の衣装を手掛けた。 65年には、米ニューヨークで初の海外コレクションを発表し、「東洋と西洋の出合い」と絶賛された。77年に東洋人として初めてパリオートクチュール(高級注文服)組合の正会員になった。トレードマークとなったチョウなどの色柄は大胆かつ鮮やかで、美的センスを世界に示した。 イタリアのミラノ・スカラ座のオペラ「マダム・バタフライ」、劇団四季の「エビータ」などの舞台衣装も手掛けた。バルセロナ五輪日本選手団の公式ユニホームもデザイン。96年には文化勲章を受章した。 化粧品や生活用品まで事業を広げたが、業績悪化で2002年、ブランドを運営していた「ハナエモリ」が民事再生法の適用を申請した。 同年、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章オフィシエを受章。04年、パリで最後のオートクチュールコレクションを発表した。その後は、彫刻の森美術館(神奈川県箱根町)館長を務めるなど芸術文化の普及にも尽力した。写真は2013年撮影 【EPA時事】