【追悼】2022 (62/150)

タス通信などによると、旧ソ連末期に平和共存外交を展開、東西冷戦を終結に導き、ノーベル平和賞を受賞したミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が8月30日、モスクワの病院で死去した。91歳だった。停滞していたソ連立て直しを図る「ペレストロイカ」を推進したが、保守派クーデター未遂事件で挫折、ソ連崩壊で失脚に追い込まれた。 1931年3月、ロシア南部スタブロポリ地方生まれ。モスクワ大卒業後、ソ連共産党地方幹部を経て80年10月に党政治局員に昇任。85年3月、54歳の若さでソ連最高指導者の党書記長に選出された。 ソ連社会の停滞打破に向け、ペレストロイカに着手。86年4月のチェルノブイリ原発事故後は情報公開「グラスノスチ」を推し進めた。86年12月のサハロフ博士の軟禁解除に象徴される民主化政策で社会に自由の息吹をもたらした。 外交面では、平和共存を目指す「新思考外交」を展開。レーガン米大統領(当時、以下同)と会談を重ね、87年12月に中距離核戦力(INF)全廃条約に調印、軍拡競争に終止符を打った。社会主義陣営の盟主としてソ連が君臨する「ブレジネフ・ドクトリン」を放棄、東欧革命やベルリンの壁崩壊、ドイツ統一を容認。89年12月のブッシュ米大統領とのマルタ会談で冷戦終結を宣言、その功績で90年のノーベル平和賞を受賞した。写真は90年6月撮影 【AFP時事】