1972年ミュンヘン五輪のマラソン代表で、ボストン・マラソン優勝などの実績も持つ采谷義秋(うねたに・よしあき)さんが、肺炎のため11月5日に広島県呉市の病院で死去した。78歳だった。同市出身。 日体大を卒業後、広島県の県立校、竹原高の教員に。マラソンランナーとして活躍し、実業団に所属しない「公務員ランナー」のトップ選手だった。68年メキシコ五輪の代表候補になったが、選出されなかった。翌年のボストンでは2時間13分49秒で優勝。ミュンヘン五輪で君原健二選手、宇佐美彰朗選手とともに代表入りを果たした。同五輪の結果は36位だった。 数年前から喉頭がんを患い、入退院を繰り返していたという。写真は1972年撮影 【時事通信社】
2022.12.31
人物・歴史
【追悼】2022 (24/150)
1972年ミュンヘン五輪のマラソン代表で、ボストン・マラソン優勝などの実績も持つ采谷義秋(うねたに・よしあき)さんが、肺炎のため11月5日に広島県呉市の病院で死去した。78歳だった。同市出身。 日体大を卒業後、広島県の県立校、竹原高の教員に。マラソンランナーとして活躍し、実業団に所属しない「公務員ランナー」のトップ選手だった。68年メキシコ五輪の代表候補になったが、選出されなかった。翌年のボストンでは2時間13分49秒で優勝。ミュンヘン五輪で君原健二選手、宇佐美彰朗選手とともに代表入りを果たした。同五輪の結果は36位だった。 数年前から喉頭がんを患い、入退院を繰り返していたという。写真は1972年撮影 【時事通信社】