2023.01.17 スポーツ

【野球】「沢村栄治賞に輝いた投手」先発完投型のエース (44/49)

権藤博(中日) 佐賀・鳥栖高からブリヂストンタイヤを経て1961年中日入り。1年目に全試合(130)の半分以上となる69試合に登板し、リーグ最多の35勝(19敗)を挙げて沢村賞を獲得した。投球回は429回3分の1に上り、完投(32)、完封(12)、奪三振(310)のいずれもがリーグ最高という超人的な活躍だった。この年、中日は巨人と優勝争いを演じ、濃人貴実監督はチャンスをものにするために権藤を頻繁に起用。「権藤、権藤、雨、権藤」とたとえられるほど使ったが、中日は惜しくも2位に終わった。 伸びのある速球と縦に落ちるカーブを武器とした。2年目の62年も30勝17敗で最多勝。しかし2年間で130試合登板という酷使がたたって肩を壊し、野手に転向。68年に引退した。通算成績は82勝60敗、防御率2.69。 引退後は中日、近鉄、ダイエー、横浜などでコーチを務めた。自身の経験から「投手の肩は消耗品」を持論とした指導法には定評があった。98年に横浜の監督に就任し、38年ぶりのリーグ優勝に導いた。写真は、横浜監督時代の98年10月撮影。シーズン最多セーブポイントのプロ野球新記録を達成した佐々木主浩投手を握手で祝福する権藤監督【時事通信社】