1963年 中島治康 1909年、長野県生まれ。旧制松本商のエースとして28年の全国中等学校優勝野球大会に出場。準決勝で三原脩(後の西鉄監督)を擁する高松商、決勝で平安中を破って優勝した。早大に進んで外野手に転向。34年に大日本東京野球倶楽部に加わり、巨人の創設メンバーの一人となった。36年に球団第1号本塁打を放ち、37年春季リーグで本塁打王。38年秋季リーグでは本塁打、打点、打率で1位となり、プロ野球初の三冠王となった。使用球の質が悪く、打っても飛ばない時代だったが、38年秋には5試合連続本塁打をマークするなど強打を誇った。大洋で兼任監督を務めた51年限りで引退。通算成績は889安打、57本塁打、493打点、打率2割7分。写真は読売巨人軍提供 【時事通信社】
2024.01.24
スポーツ
【野球】野球殿堂に入った名選手 (87/87)
1963年 中島治康 1909年、長野県生まれ。旧制松本商のエースとして28年の全国中等学校優勝野球大会に出場。準決勝で三原脩(後の西鉄監督)を擁する高松商、決勝で平安中を破って優勝した。早大に進んで外野手に転向。34年に大日本東京野球倶楽部に加わり、巨人の創設メンバーの一人となった。36年に球団第1号本塁打を放ち、37年春季リーグで本塁打王。38年秋季リーグでは本塁打、打点、打率で1位となり、プロ野球初の三冠王となった。使用球の質が悪く、打っても飛ばない時代だったが、38年秋には5試合連続本塁打をマークするなど強打を誇った。大洋で兼任監督を務めた51年限りで引退。通算成績は889安打、57本塁打、493打点、打率2割7分。写真は読売巨人軍提供 【時事通信社】