1977年 西沢道夫 1921年、東京都生まれ。テストを受けて36年に名古屋軍(後の中日)に入団。身長182センチで当時としては大柄だったため、巨漢の人気力士出羽ケ嶽文治郎にあやかって「文ちゃん」の愛称があった。42年5月に大洋の野口二郎と投げ合い、延長28回を311球で完投。同年7月の阪急戦ではノーヒットノーランを達成した。戦後、復員した後に打者に転向。中日時代の52年にリーグ最多の98打点と打率3割5分3厘で2冠を獲得した。50年には5本の満塁本塁打を含む46本塁打を放ったが、本塁打王のタイトルは51本の小鶴誠(松竹)に奪われた。58年に引退。背番号「15」は中日の永久欠番となった。通算打撃成績は1717安打、212本塁打、940打点、打率2割8分6厘。投手成績は60勝65敗、404奪三振、防御率2.23。写真は中日監督時代の67年撮影 【時事通信社】
2024.01.24
スポーツ
【野球】野球殿堂に入った名選手 (80/87)
1977年 西沢道夫 1921年、東京都生まれ。テストを受けて36年に名古屋軍(後の中日)に入団。身長182センチで当時としては大柄だったため、巨漢の人気力士出羽ケ嶽文治郎にあやかって「文ちゃん」の愛称があった。42年5月に大洋の野口二郎と投げ合い、延長28回を311球で完投。同年7月の阪急戦ではノーヒットノーランを達成した。戦後、復員した後に打者に転向。中日時代の52年にリーグ最多の98打点と打率3割5分3厘で2冠を獲得した。50年には5本の満塁本塁打を含む46本塁打を放ったが、本塁打王のタイトルは51本の小鶴誠(松竹)に奪われた。58年に引退。背番号「15」は中日の永久欠番となった。通算打撃成績は1717安打、212本塁打、940打点、打率2割8分6厘。投手成績は60勝65敗、404奪三振、防御率2.23。写真は中日監督時代の67年撮影 【時事通信社】