1996年 衣笠祥雄 1947年、京都市生まれ。京都・平安高(現龍谷大平安高)から65年、広島に入団して捕手から内野手に転向。87年の現役引退まで広島一筋でプレーした。豪快なフルスイングからの強打が持ち味で、75年球団初のセ・リーグ優勝では、山本浩二とともに主砲として活躍。「赤ヘル旋風」を巻き起こした。 79年には死球を受け肩甲骨を骨折したこともあったが、翌日の試合に代打で出て強振。不屈の闘志で出場を重ね、80年にはプロ野球新記録の1247試合連続出場をマークした。87年6月には当時の米大リーグ記録だったルー・ゲーリッグの2130試合も抜いて国民栄誉賞を受賞。これは96年に大リーグのカル・リプケンが塗り替えるまで世界記録だった。 プロ23年間の通算成績は、2677試合に出場して2543安打、打率2割7分、1448打点、504本塁打、266盗塁。背番号3は広島球団の永久欠番。引退後は評論家として活躍した。写真は87年撮影 【時事通信社】
2024.01.24
スポーツ
【野球】野球殿堂に入った名選手 (58/87)
1996年 衣笠祥雄 1947年、京都市生まれ。京都・平安高(現龍谷大平安高)から65年、広島に入団して捕手から内野手に転向。87年の現役引退まで広島一筋でプレーした。豪快なフルスイングからの強打が持ち味で、75年球団初のセ・リーグ優勝では、山本浩二とともに主砲として活躍。「赤ヘル旋風」を巻き起こした。 79年には死球を受け肩甲骨を骨折したこともあったが、翌日の試合に代打で出て強振。不屈の闘志で出場を重ね、80年にはプロ野球新記録の1247試合連続出場をマークした。87年6月には当時の米大リーグ記録だったルー・ゲーリッグの2130試合も抜いて国民栄誉賞を受賞。これは96年に大リーグのカル・リプケンが塗り替えるまで世界記録だった。 プロ23年間の通算成績は、2677試合に出場して2543安打、打率2割7分、1448打点、504本塁打、266盗塁。背番号3は広島球団の永久欠番。引退後は評論家として活躍した。写真は87年撮影 【時事通信社】