2024.01.24 スポーツ

【野球】野球殿堂に入った名選手 (85/87)

1965年 鶴岡一人 1916年、広島県生まれ。広島商、法大を経て39年に南海入団。新人ながら主将を務めて、本塁打王に。翌年から終戦までは兵役のため球界を離れたが、46年のプロ野球再開と同時に南海(当時近畿グレートリング)の選手兼監督となり、巨人、阪神以外の球団として初の優勝を果たした。 68年まで23年間監督を務め、川上哲治元巨人監督と並ぶ最多記録の11回の優勝を遂げ、日本シリーズでは59、64年の2度優勝。監督としては史上最多の通算1773勝を挙げた。選手としては、最高殊勲選手(MVP)を3度獲得した。 監督時代は、選手たちに「親分」と呼ばれて親しまれた。また「グラウンドにゼニが落ちている」の名言で選手のやる気を引き出し、杉浦忠投手、野村克也捕手らを擁して、ホークスを常勝チームに育て上げた。写真は南海監督時代 【時事通信社】