2024.01.24 スポーツ

【野球】野球殿堂に入った名選手 (56/87)

1999年 中西太 1933年、高松市生まれ。高松一高時代から打撃で頭角を現し、「怪童」と呼ばれた。52年に西鉄入団。1年目から活躍し新人王になった。53年にはプロ野球3人目の3割、30本塁打、30盗塁を達成。同年8月、平和台球場での大映戦で放ったバックスクリーンを越える大本塁打は、推定飛距離160メートルといわれ、今でも語り草となっている。56年まで4年連続本塁打王となるなど、毎年のように三冠王に迫る成績を挙げた。 けんしょう炎などで59年から出場機会が減り、62年には20代で西鉄の兼任監督に就任した。69年、選手らの八百長疑惑が浮上、いわゆる「黒い霧事件」として騒がれ、道義的責任を取って監督を辞任。同年限りで現役も引退した。 日本ハム、阪神で監督、ヤクルト、ロッテでは代理監督を務めた。近鉄、巨人、オリックスではコーチとして手腕を発揮し、特に打撃指導には定評があった。現役通算成績は打率3割7厘、244本塁打、785打点、142盗塁。監督通算748勝811敗81分で西鉄時代にリーグ優勝1回。写真は64年撮影 【時事通信社】