大杉勝男 1945年、岡山県生まれ。岡山・関西高から社会人の大丸を経て65年にテストで東映入り。3年目の67年に27本塁打を放ってスラッガーの片りんを見せ、70年に44本塁打、129打点で2冠獲得。打率も3割3分9厘の好成績だったが、3割8分3厘(当時の日本記録)をマークした同僚の張本勲に次ぐ2位に終わり、三冠王はならなかった。71年にも41本を放って2年連続の本塁打王。72年に2度目の打点王。飯島滋弥打撃コーチから「大杉君、あの月に向かって打ちなさい」と声を掛けられて打撃のコツをつかんだという逸話がある。75年にヤクルト移籍。78年の初優勝に貢献し、阪急との日本シリーズは4本塁打の活躍で最優秀選手(MVP)となった。第7戦では大杉が左翼ポール付近に放った本塁打を巡り、阪急・上田監督が「ファウルだ」と抗議して1時間19分中断した。83年引退。通算成績は486本塁打、1507打点、打率2割8分7厘。写真は78年日本シリーズでMVPに輝いた大杉。 【時事通信社】
2023.08.16
スポーツ
【野球】プロ野球の歴代本塁打王 (54/70)
大杉勝男 1945年、岡山県生まれ。岡山・関西高から社会人の大丸を経て65年にテストで東映入り。3年目の67年に27本塁打を放ってスラッガーの片りんを見せ、70年に44本塁打、129打点で2冠獲得。打率も3割3分9厘の好成績だったが、3割8分3厘(当時の日本記録)をマークした同僚の張本勲に次ぐ2位に終わり、三冠王はならなかった。71年にも41本を放って2年連続の本塁打王。72年に2度目の打点王。飯島滋弥打撃コーチから「大杉君、あの月に向かって打ちなさい」と声を掛けられて打撃のコツをつかんだという逸話がある。75年にヤクルト移籍。78年の初優勝に貢献し、阪急との日本シリーズは4本塁打の活躍で最優秀選手(MVP)となった。第7戦では大杉が左翼ポール付近に放った本塁打を巡り、阪急・上田監督が「ファウルだ」と抗議して1時間19分中断した。83年引退。通算成績は486本塁打、1507打点、打率2割8分7厘。写真は78年日本シリーズでMVPに輝いた大杉。 【時事通信社】