チャーリー・マニエル 1944年、米ウェストバージニア州生まれ。米大リーグのツインズやドジャースを経て76年にヤクルト入団。78年に39本塁打を放ってチームのリーグ初制覇に貢献したが、機動力と守備力を重視する広岡達朗監督の方針に合わず交換トレードで近鉄に移籍。79年にリーグ最多の37本塁打を放って近鉄のリーグ初優勝に貢献すると、80年も48本塁打、129打点で打撃2冠の活躍。リーグ連覇の立役者となり、「優勝請負人」と呼ばれた。79年6月のロッテ戦で顔面に死球を受け、顎の骨が七つに砕ける重傷を負ったが、8月に復帰。再び負傷しないようフェイスマスク付きのヘルメットをかぶってプレーする闘志を見せた。近鉄との契約交渉がまとまらず81年にヤクルト加入。しかしけがもあって低調に終わり、この年限りで自由契約となった。日本での通算成績は189本塁打、491打点、打率3割3厘。写真は79年8月4日撮影。 【時事通信社】
2023.08.16
スポーツ
【野球】プロ野球の歴代本塁打王 (48/70)
チャーリー・マニエル 1944年、米ウェストバージニア州生まれ。米大リーグのツインズやドジャースを経て76年にヤクルト入団。78年に39本塁打を放ってチームのリーグ初制覇に貢献したが、機動力と守備力を重視する広岡達朗監督の方針に合わず交換トレードで近鉄に移籍。79年にリーグ最多の37本塁打を放って近鉄のリーグ初優勝に貢献すると、80年も48本塁打、129打点で打撃2冠の活躍。リーグ連覇の立役者となり、「優勝請負人」と呼ばれた。79年6月のロッテ戦で顔面に死球を受け、顎の骨が七つに砕ける重傷を負ったが、8月に復帰。再び負傷しないようフェイスマスク付きのヘルメットをかぶってプレーする闘志を見せた。近鉄との契約交渉がまとまらず81年にヤクルト加入。しかしけがもあって低調に終わり、この年限りで自由契約となった。日本での通算成績は189本塁打、491打点、打率3割3厘。写真は79年8月4日撮影。 【時事通信社】