池永正明 1946年、山口県生まれ。下関商高時代から超高校級として鳴らし、2年生だった63年春の選抜大会で優勝。西鉄に入団した65年に20勝を挙げて新人王、67年は23勝14敗で最多勝に輝いた。 69年に野球賭博に絡む「黒い霧事件」が発覚。敗退行為(八百長試合)に関わった疑いで翌年5月に永久失格処分を科され、わずか5年余りのプロ人生に終止符を打った。通算成績は238試合登板で103勝65敗、防御率2.36。 175センチでバネのある体、抜群の制球力、そして度胸と洞察力。投手に必要な多くの要素を備えていた。西鉄の黄金期を築いた稲尾和久と同様に漁師の息子だったこともあり、期待を込め、「稲尾二世」と評された。 順調な野球人生を歩んでいたが、23歳だった70年5月に、八百長の疑いで永久失格処分を受けた。世話になった先輩投手から敗退行為を頼まれ、100万円を預かった。そのことは認めたが、行為自体は一貫して否定していた。 失格処分から35年後の2005年、有志による地道な署名運動などもあって処分解除の規則が設けられ、復権が認められた。写真は65年にパ・リーグの新人王に選ばれ、表彰された池永 【時事通信社】
2024.07.18
スポーツ
【野球】プロ野球の歴代最多勝投手 (92/107)
池永正明 1946年、山口県生まれ。下関商高時代から超高校級として鳴らし、2年生だった63年春の選抜大会で優勝。西鉄に入団した65年に20勝を挙げて新人王、67年は23勝14敗で最多勝に輝いた。 69年に野球賭博に絡む「黒い霧事件」が発覚。敗退行為(八百長試合)に関わった疑いで翌年5月に永久失格処分を科され、わずか5年余りのプロ人生に終止符を打った。通算成績は238試合登板で103勝65敗、防御率2.36。 175センチでバネのある体、抜群の制球力、そして度胸と洞察力。投手に必要な多くの要素を備えていた。西鉄の黄金期を築いた稲尾和久と同様に漁師の息子だったこともあり、期待を込め、「稲尾二世」と評された。 順調な野球人生を歩んでいたが、23歳だった70年5月に、八百長の疑いで永久失格処分を受けた。世話になった先輩投手から敗退行為を頼まれ、100万円を預かった。そのことは認めたが、行為自体は一貫して否定していた。 失格処分から35年後の2005年、有志による地道な署名運動などもあって処分解除の規則が設けられ、復権が認められた。写真は65年にパ・リーグの新人王に選ばれ、表彰された池永 【時事通信社】