2019.03.11 その他

鎮魂の3.11 (80/257)

「何で逃げてくれなかったのかなあ」。震災発生当時、宮城県女川町役場の建設課長だった同県石巻市の高橋良守さん(64)は、津波で母と妻を亡くし自宅も失った。「(自宅は)チリ地震の津波を経験した母が選んだ場所だった。津波は来ないと思ったのでしょう」と唇をかむ。自身は庁舎で勤務中に被災した。屋上に避難し、職員や町民らと翌日未明まで耐えた。この6年間を「無我夢中でした」と振り返る。仮設住宅の建設やがれきの処理、町民の生活再建に関わる仕事に忙殺された。「(復興に)何年かかるのかと思っていたが、ようやく災害公営住宅もできた。思っていたよりは良いのかな」。定年後も再雇用の職員として、町の復興に関わり続けている。墓前には妻が好きだったコーヒーを持ってきた。「あばあちゃん、召し上がれ!」。2歳の孫娘の無邪気な声が響いた=宮城県女川町(2017年03月11日) 【時事通信社】