与那嶺要 1925年、米ハワイ州マウイ島出身の日系2世。アメリカンフットボールから野球に転向し、マイナーリーグを経て、51年のシーズン途中に外野手として巨人に入団。「ウォーリー」の愛称で親しまれ、巧みな打撃と米国仕込みの果敢な走塁でファンを魅了した。 2年目から6年連続打率3割以上をマーク。54年に3割6分1厘で首位打者となり、56、57年も首位打者。57年は最優秀選手(MVP)にも選ばれた。 61年に中日へ移籍し、翌年引退した。通算1219試合で3割1分1厘、1337安打、82本塁打、482打点、163盗塁。写真は中日監督時代の71年に撮影。 【時事通信社】
2023.11.21
スポーツ
【野球】プロ野球の歴代首位打者 (80/87)
与那嶺要 1925年、米ハワイ州マウイ島出身の日系2世。アメリカンフットボールから野球に転向し、マイナーリーグを経て、51年のシーズン途中に外野手として巨人に入団。「ウォーリー」の愛称で親しまれ、巧みな打撃と米国仕込みの果敢な走塁でファンを魅了した。 2年目から6年連続打率3割以上をマーク。54年に3割6分1厘で首位打者となり、56、57年も首位打者。57年は最優秀選手(MVP)にも選ばれた。 61年に中日へ移籍し、翌年引退した。通算1219試合で3割1分1厘、1337安打、82本塁打、482打点、163盗塁。写真は中日監督時代の71年に撮影。 【時事通信社】