榎本喜八 1936年、東京都生まれ。東京・早稲田実高で54年の甲子園大会に春夏連続出場。翌55年にテストを受けて毎日入りし、高卒新人で開幕戦に5番で出場、この年打率2割9分8厘、16本塁打で新人王に輝いた。 その後、「安打製造機」と称された高い打撃技術を持つ一塁手として、「ミサイル打線」の異名を取ったオリオンズの中心打者として活躍。60年に3割4分4厘、66年に3割5分1厘で首位打者。68年には川上哲治、山内一弘に続いて3人目(当時)の通算2000安打を達成した。72年に西鉄へ移籍し、同年限りで引退。通算成績は2222試合に出場して2314安打、246本塁打、979打点、打率2割9分8厘。 打撃技術をとことん突き詰める性格で、現役晩年は試合前にベンチで座禅を組むなど風変わりな行動が話題になった。引退後は指導者になることもなく球界と距離を置いた。 【時事通信社】
2023.11.21
スポーツ
【野球】プロ野球の歴代首位打者 (74/87)
榎本喜八 1936年、東京都生まれ。東京・早稲田実高で54年の甲子園大会に春夏連続出場。翌55年にテストを受けて毎日入りし、高卒新人で開幕戦に5番で出場、この年打率2割9分8厘、16本塁打で新人王に輝いた。 その後、「安打製造機」と称された高い打撃技術を持つ一塁手として、「ミサイル打線」の異名を取ったオリオンズの中心打者として活躍。60年に3割4分4厘、66年に3割5分1厘で首位打者。68年には川上哲治、山内一弘に続いて3人目(当時)の通算2000安打を達成した。72年に西鉄へ移籍し、同年限りで引退。通算成績は2222試合に出場して2314安打、246本塁打、979打点、打率2割9分8厘。 打撃技術をとことん突き詰める性格で、現役晩年は試合前にベンチで座禅を組むなど風変わりな行動が話題になった。引退後は指導者になることもなく球界と距離を置いた。 【時事通信社】