【冬季五輪】「銀盤の記憶」男子フィギュアスケート (19/30)
2006年 トリノ冬季五輪 高橋大輔(関大)はSP5位から伸ばせず8位にとどまった【時事通信社】 歴代世界王者のプルシェンコ、ランビエルら実力者がそろう最終グループ。しかも、自分の結果ですべての順位が決まる最終滑走。栄えある舞台に立った高橋が、重圧にのみ込まれた。 「緊張しっ放し」だったというSPで5位につけてから2夜。五輪の雰囲気を体感し、もっと落ち着いて臨めると思っていた。だが、独特の雰囲気が体を縛り、最初の4回転ジャンプで転倒。その後もコンビネーションジャンプが単発に終わるなど、ジャンプで大小のミスが続いた。「SPよりは落ち着いていたが、焦ってしまった」。練習の好調さを本番で見せられなかった。 2002年、16歳で世界ジュニア選手権を制覇。だが、翌シーズンから参戦したシニアの国際舞台では、精神的なもろさから「壁」にはね返され続けた。昨年の世界選手権(モスクワ)ではSPまで8位と健闘しながら、フリー演技の大崩れで15位止まり。日本の五輪出場枠も1つとなり、目の色が変わった。 今季は開幕前から「トリノには自分が行く」と公言。スケートアメリカでグランプリ初優勝、グランプリ・ファイナルでも3位と世界で実績を重ねた。両大会ともミスの後に立て直し。質の高いステップや表現力など、ジャンプ以外にも「得点源」を持つ選手として認知させた。 だが、締めくくりは不本意なものとなった。「8位? うれしくはないです」。五輪シーズンに才能を開花させた日本男子の新エースは19歳。この経験を今後にどう生かすかだ。(2006年02月16日)