金田正一さん死去、86歳=不滅の400勝、プロ野球元ロッテ監督
プロ野球国鉄(現ヤクルト)、巨人の投手として歴代最多の通算400勝を達成し、ロッテ監督を務めた金田正一(かねだ・まさいち)さんが6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため、東京都内の病院で死去した。86歳だった。愛知県出身。通夜・告別式は近親者のみで行われる。喪主は長男の賢一(けんいち)さん。後日、「お別れの会」を行う予定だという。巨人が6日に発表した。
愛知・享栄商業高(現享栄高)を中退し、1950年、国鉄入団。大型左腕投手として注目され、184センチの長身から投げ下ろす剛速球とカーブを武器に、エースとして活躍した。
58年、巨人との開幕戦では立教大出の大物新人、長嶋茂雄選手を4打席連続三振に仕留めた。
65年に巨人移籍。69年に400勝を達成して引退した。20年で944試合、400勝298敗。通算365完投、4490奪三振、14年連続20勝などをマークした。完全試合とノーヒットノーランを1回ずつ記録。最多勝3回、最優秀防御率3回、沢村賞3回。
またロッテの監督を73~78年と90、91年に務め、74年パ・リーグ優勝。日本シリーズも制した。
徹底した走り込みと独自の栄養管理で頑健な体をつくり上げ、監督時代も厳しい練習を選手に課した。78年に発足したプロ野球名球会の初代会長として野球教室などに取り組む一方、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで球界を叱咤(しった)激励。「カネさん」「カネやん」と慕われた。
88年野球殿堂入り。(2019/10/06-22:12)
Japan Ex-Pitcher Kaneda, Who Won 400 Games, Dies at 86
Former Yomiuri Giants pitcher Masaichi Kaneda, whose 400 career wins remain an all-time high in Japanese professional baseball history, died at a Tokyo hospital Sunday. He was 86.
Kaneda, enshrined in the Japanese Baseball Hall of Fame in 1988, died of blood poisoning caused by acute cholangitis early in the morning. His death was disclosed by the Giants.
Kaneda joined the Kokutetsu Swallows, now called the Tokyo Yakult Swallows, in 1950 after finishing high school.
In 1958, he faced off with Giants super rookie Shigeo Nagashima, striking him out in four straight at-bats.
Kaneda moved to the Giants in 1965 and retired in 1969 after winning the 400th game.
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