2021.09.10 13:37World eye
9.11生還者の証言:救急隊員──鳴り響く警報、力尽きた消防士
【ニューヨークAFP=時事】「9.11」のあの日、アル・キムさんは、米ニューヨークの世界貿易センタービル崩壊の惨事から生還した。大きな衝撃から立ち直る中、命のはかなさと「広い視野」から問題を捉える必要性を学んだと言う。(写真は米ニューヨークの「9.11記念博物館」を訪れたアル・キムさん)
2001年9月11日、午前9時を少し回っていた。当時37歳だったキムさんは救急医療隊員として、世界金融の中心地ロウアーマンハッタンに急行した。イスラム過激派にハイジャックされた旅客機2機が、貿易センターのツインタワーに突入したのだ。
キムさんの任務は、負傷者を二つのタワーに挟まれたマリオットホテルに避難させることだった。
しかし午前9時59分、負傷者看護の準備をしていると、突進する電車のような耳をつんざく音が聞こえた。本能的に、歩道橋の下に駐車していたワゴン車の下に飛び込んだ。
「こんな死に方をするなんて信じられない」と感じたと言う。タワーの南棟が崩れ落ちた瞬間だった。
「息ができなかった。空気がツンと鼻を突いた。自分のシャツで口を覆ったことを覚えている」。20年後の今、ツインタワー跡地に建てられた「9.11記念博物館」を初めて訪れながらキムさんは振り返った。
ビル炎上崩落後の熱風でキムさんは鼻孔、上気道、左眉をやけどした。両眼も負傷した。全身が厚い灰に覆われた。
やがて同僚の声が聞こえ、彼らと合流。真っ暗闇の中、がれきや猛火をくぐり抜け「小学生のように手をつなぎながら」前進した。「光の方向に向かって歩く間、警報音が一斉に鳴っていた」
■数々の葬儀
後で分かったことだが、それは消防士が身に着けた救助要請装置のアラームで、装着者の動作がしばらく止まると鳴りだす仕組みだった。
叫び声を聞いて駆け付けると、顔が灰だらけになった消防士が半身、がれきに埋まっていた。彼の首の骨は、3か所で折れていた。
キムさんは彼を担架で安全な場所に避難させたが、数分後にセンターの北棟が崩壊した。この消防士は、所属していた班12人の中で唯一の生存者となった。
この後のキムさんの記憶は、おぼろげで断片的だ。「見渡す限り、がれきの野だった。市全体が、あるいはその外も、そうなんだろうと思えた」
キムさんは貿易センター跡地の「グラウンド・ゼロ」にその日は夕方までとどまり、翌日からも数日間通った。
「やるべきことがたくさんあり、出なければいけない葬儀がいくつもあった。じっくり考える時間はなかった」。当時、彼はブルックリンの民間救急サービス「メトロケア・アンビュランス」に勤めていた。
後からも不安が募り、ガスマスクを入手した。車には2週間分の飲料水や食料を積み込むようになった。「毒ガス攻撃の可能性が話題になっていた」。やがて不安は克服したが、さまざまな思いが残った。
■立ち直る力
「ニューヨーカーはタフだし、立ち直る力があった。皆、街から逃げ出さなかった。粘り抜いた。私も粘り抜いた」とキムさん。現在はニューヨーク市郊外にあるウエストチェスター緊急医療サービスの幹部だ。
9.11直後、キムさんはかつてない愛国心の高まりを感じたと言う。「人々がプラカードや支援で示した気持ちのほとばしりは、とてつもないものだった」
さらに大惨事で「命がいかに尊く、もろいか」を実感したと語る。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的大流行は、このはかなさの感覚をさらに増幅した。
「自分たちのキャリアや仕事人生、プライベートな生活で直面する困難は確かに切実だ。でも、もっと大きなことに思いを致せば、広い視野から捉えられる。ポジティブに取り組める」とキムさんは説く。
3年前、ニューヨークのハーフマラソンに妻と出場したキムさんは、彼の命を救った歩道橋の橋脚に差し掛かった。普段は車の流れが多く、近寄ることができない。
キムさんは橋脚にキスをして、また走り出した。【翻訳編集AFPBBNews】
〔AFP=時事〕(2021/09/10-13:37)
2001年9月11日、午前9時を少し回っていた。当時37歳だったキムさんは救急医療隊員として、世界金融の中心地ロウアーマンハッタンに急行した。イスラム過激派にハイジャックされた旅客機2機が、貿易センターのツインタワーに突入したのだ。
キムさんの任務は、負傷者を二つのタワーに挟まれたマリオットホテルに避難させることだった。
しかし午前9時59分、負傷者看護の準備をしていると、突進する電車のような耳をつんざく音が聞こえた。本能的に、歩道橋の下に駐車していたワゴン車の下に飛び込んだ。
「こんな死に方をするなんて信じられない」と感じたと言う。タワーの南棟が崩れ落ちた瞬間だった。
「息ができなかった。空気がツンと鼻を突いた。自分のシャツで口を覆ったことを覚えている」。20年後の今、ツインタワー跡地に建てられた「9.11記念博物館」を初めて訪れながらキムさんは振り返った。
ビル炎上崩落後の熱風でキムさんは鼻孔、上気道、左眉をやけどした。両眼も負傷した。全身が厚い灰に覆われた。
やがて同僚の声が聞こえ、彼らと合流。真っ暗闇の中、がれきや猛火をくぐり抜け「小学生のように手をつなぎながら」前進した。「光の方向に向かって歩く間、警報音が一斉に鳴っていた」
■数々の葬儀
後で分かったことだが、それは消防士が身に着けた救助要請装置のアラームで、装着者の動作がしばらく止まると鳴りだす仕組みだった。
叫び声を聞いて駆け付けると、顔が灰だらけになった消防士が半身、がれきに埋まっていた。彼の首の骨は、3か所で折れていた。
キムさんは彼を担架で安全な場所に避難させたが、数分後にセンターの北棟が崩壊した。この消防士は、所属していた班12人の中で唯一の生存者となった。
この後のキムさんの記憶は、おぼろげで断片的だ。「見渡す限り、がれきの野だった。市全体が、あるいはその外も、そうなんだろうと思えた」
キムさんは貿易センター跡地の「グラウンド・ゼロ」にその日は夕方までとどまり、翌日からも数日間通った。
「やるべきことがたくさんあり、出なければいけない葬儀がいくつもあった。じっくり考える時間はなかった」。当時、彼はブルックリンの民間救急サービス「メトロケア・アンビュランス」に勤めていた。
後からも不安が募り、ガスマスクを入手した。車には2週間分の飲料水や食料を積み込むようになった。「毒ガス攻撃の可能性が話題になっていた」。やがて不安は克服したが、さまざまな思いが残った。
■立ち直る力
「ニューヨーカーはタフだし、立ち直る力があった。皆、街から逃げ出さなかった。粘り抜いた。私も粘り抜いた」とキムさん。現在はニューヨーク市郊外にあるウエストチェスター緊急医療サービスの幹部だ。
9.11直後、キムさんはかつてない愛国心の高まりを感じたと言う。「人々がプラカードや支援で示した気持ちのほとばしりは、とてつもないものだった」
さらに大惨事で「命がいかに尊く、もろいか」を実感したと語る。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的大流行は、このはかなさの感覚をさらに増幅した。
「自分たちのキャリアや仕事人生、プライベートな生活で直面する困難は確かに切実だ。でも、もっと大きなことに思いを致せば、広い視野から捉えられる。ポジティブに取り組める」とキムさんは説く。
3年前、ニューヨークのハーフマラソンに妻と出場したキムさんは、彼の命を救った歩道橋の橋脚に差し掛かった。普段は車の流れが多く、近寄ることができない。
キムさんは橋脚にキスをして、また走り出した。【翻訳編集AFPBBNews】
〔AFP=時事〕(2021/09/10-13:37)
2021.09.10 13:37World eye
Al Kim-- paramedic among the rubble of the Twin Towers
Al Kim narrowly escaped death when the World Trade Center's South Tower collapsed on 9/11. The tragedy shook him deeply but taught him that life is fleeting and that problems must be kept in perspective.
The paramedic rushed to the financial hub in Lower Manhattan shortly after 9:00 am on September 11, 2001, after Islamist extremists crashed two hijacked jetliners into the Twin Towers.
Kim was charged with evacuating the wounded to the nearby Marriott Hotel, located between the two towers.
But at 9:59 am, as he was getting ready to tend to them, he heard a deafening noise like a speeding train. Instinctively, he threw himself under a van parked below a footbridge.
I can't believe this is how I am going to die, Kim, then a 37-year-old paramedic for Metrocare Ambulance service in Brooklyn, recalls feeling.
The South Tower had just collapsed.
I couldn't breathe. The air was so acrid. I remember using my shirt to cover my mouth, Kim recalls 20 years later on his first visit to the 9/11 Memorial & Museum, a few steps away from where he almost died.
The heat burned his nostrils, his upper respiratory tract and his left eyebrow. His eyes were also damaged, his whole body covered with a thick layer of ash.
He soon heard the voices of colleagues and made his way to them. Together, they advanced in total darkness, amid rubble, fire and flames.
We held hands like school children, says Kim. As we walked towards the light, we started hearing a flood of alarms.
- Funerals -
He learned later the noise was the sound of distress alarms carried by firefighters that go off when the bearer remains motionless for a while.
Kim and his colleagues heard the screams of an injured firefighter. They ran to him. His face was covered in ash, his body half covered in rubble.
His name was Kevin Shea and his neck was broken in three places. Kim helped carry Shea to safety on a stretcher, minutes before the North Tower fell. Shea was the only survivor of his 12-man brigade.
Beyond this, Kim's memories are hazy and fragmented.
The thought was, 'This is the end of our little world,' he recalls.
As far as I could see, it was nothing but a debris field. To me the whole city was like this and maybe even beyond.
Kim remained at Ground Zero until the evening, returning the next day and for several more after that.
There was a lot to do, there were funerals to go to. There was no moment to reflect, he said.
He became anxious, acquired a gas mask and always had enough water and food in his car to last two weeks.
My family called me a turtle, because I was driving around in my little truck with my life inside of it.
There was a lot of talk in the news about gas attacks -- they were going to deploy sarin gas in the tunnels, and things like that, says Kim.
In time, he got over the anxiety, but the emotions linger.
- Resilience -
New Yorkers were really tough and resilient. They didn't run away from the city. They stuck it out. I stuck it out, says Kim, now executive director of Westchester Emergency Medical Services in New York's suburbs.
Kim says he never felt patriotism like what he experienced in the days following the attacks.
The outpouring of people with signs and support, it was incredible, he adds.
The tragedy also made him realize how precious and tenuous really life can be.
The coronavirus pandemic has reinforced that sense of transience.
Things that are difficult during our careers, work life, personal life, are still relevant, but when you think about it in terms of bigger things, it puts things in perspective. It works in a positive way, he says.
Three years ago, while running the New York half-marathon with his wife, Kim passed the pillar supporting the bridge that saved his life. Traffic usually makes it inaccessible.
He kissed it, then resumed his race.
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