2021.06.29 14:08World eye

「国境なき医師団」 夢と内戦、伝染病、災害と向き合って50年

【パリAFP=時事】世界のどこであろうと、最も助けを必要としている人々に現地で手を差し伸べたい。今年、創設から50年の節目を迎える国際医療援助団体「国境なき医師団(MSF)」は、フランスの新米医師らのこんな思いから誕生した。(写真は資料写真)
 MSFは、地震、飢饉(ききん)、伝染病、紛争などの被害に遭った人々に医療支援を行ってきた。イエメンでは内戦の避難民を助け、アフリカではエボラ出血熱と闘い、地中海では移民を救助するなど、活動内容は多岐にわたり、現在は、およそ75の国と地域で100余りの活動を展開している。
 資金も人材も乏しいが、ひたむきな医師ら数人の夢から始まったMSFは、人道的な働きで国際的に認知されるようになり、1999年にはノーベル平和賞を受賞した。しかし、今のような知名度を得るまでには、論争や批判なき、というわけにはいかなかった。
 「私たちの夢は、壮大な物語に発展した」とMSF共同創設者グザビエ・エマニュエリ氏(83)はAFPに語った。

■夢の始まりは悪夢
 もう一人の創設者ベルナール・クシュネル氏(81)は、「人々が苦しんでいる場所ならどこにでも行こうと思った」と語る。「今なら当たり前と思えるかもしれないが、当時は革新的だった」。同氏は2007年から2010年までフランスの外相を務めている。
 だが、夢の始まりは悪夢だった。
 1968年、ナイジェリア南東部ビアフラの分離・独立派と政府軍の間で戦争が続いていた。軍はビアフラを包囲し、爆撃と飢餓で民間人が命を落としていた。
 パリの新卒の医師らは、赤十字国際委員会(ICRC)の呼び掛けに応じてナイジェリアを訪れ、惨状を目の当たりにした。
 「子どもたちがばたばたと死んでいた。軍が全ての物資の供給を遮断していたためだ」。当時、医師として現地に派遣されたクシュネル氏はAFPに語った。「若かった私たちは、この状況を非難するのは医療従事者として当然の務めだと考えた」
 ICRCは任務遂行に当たって守秘義務を順守するが、その方針に逆らい、医師らはビアフラ戦争の実態をメディアに伝えることにした。
 治療するだけではなく、現地の実情を証言するMSFのやり方は、人道支援の新たな概念をつくり上げた。

■意見の対立から分裂
 MSFは、1971年12月に創設された。
 運営をめぐっては、内部では方向性について激しい意見の対立もあった。
 仲間同士での小規模「ゲリラ」部隊にとどめるべきだという意見のメンバーに対し、新参のメンバーらは組織を拡大するべきだと意気込んでいた。
 対立が決定的になったのは1979年に当時MSF会長だったクシュネル氏が、哲学者ジャンポール・サルトル氏らパリの知識人を動員し、共産党政権から逃れるベトナム難民を救う船をチャーターした時だ。
 MSFの中でクシュネル氏らと対立していた勢力は、この行動スタイルに反発し、投票で同氏のやり方を否決した。クシュネル氏を含む数人が同組織を離れる結果となり、その後、同氏は医療支援団体「世界の医療団」を設立する。
 「残念な権力闘争だった」とクシュネル氏は振り返った。

■評判を世界中に広めたアフガニスタンでの支援活動
 MSFは、民間の資金に支えられて独立性が保たれているので、特定の国や組織に遠慮せずに意見を述べることができる。
 人道問題が専門の弁護士フィリップ・リフマン氏は、ICRCは中立性を支持し、国家の主権を重んじるが、MSFはそうした方針を踏襲していないと指摘する。
 1979年、ソ連がアフガニスタンに侵攻すると、同国民を支援するためMSFは秘密裏に医療チームを現地に派遣し、「フランスの医師団」の評判は世界中に広まった。
 「あの戦争の影響を目にしたのは私たちだけだった」とジュリエット・フォルノ氏は話す。同氏は1989年までアフガニスタンでのMSFの支援活動のまとめ役を務めていた。
 自分たちの体験について証言するのは非常に重要なことだったとして、「だから今でも、アフガニスタンの人々は私たちを覚えていてくれる」と続けた。

■ルワンダ虐殺を訴える意見広告
 MSFは、さまざまな危機について公に発言してきた。例えば、湾岸戦争後、イラクのサダム・フセイン政権が国内のクルド人を弾圧した時もそうだ。
 1991年、国連安全保障理事会はクルド難民を援助・保護するための軍事行動を承認した。
 当時、「人道的干渉の権利」の始まりを歓迎する向きもあったが、MSFは軍事と救援活動の境界線が曖昧になることを懸念した。
 だが、1992年に始まったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争と、1994年にルワンダで起きた少数派ツチ人に対する大虐殺では、MSFは、それらを阻止するための軍事介入を要請した。
 MSFのジャンエルベ・ブラドル医師は1994年4月、ルワンダの首都キガリに着いて、殺りくの規模に衝撃を受けた。
 「何もかもが目まぐるしい勢いで起きていた。私たちは人々が消え去るのを見ながら、何が起きているのか、言葉で伝えようとした」とブラドル氏は振り返った。
 MSFは、仏紙ルモンドの広告スペースを買って意見広告を出した。「医者では虐殺を止められない、国際的な軍事介入が必要だと私たちは訴えた」とブラドル氏は話した。
 「あんなことは初めてだった」

■ノーベル平和賞
 1999年、MSFはノーベル平和賞を授与された。受賞をきっかけに、熱帯病やエイズの患者が治療薬を入手しやすくするためのキャンペーン資金も調達できるようになった。
 現在、MSFは世界25か国に支部を持ち、6万1000人のスタッフを擁している。うち3分の2は現場に派遣されている。
 年間予算は16億ユーロ(約2100億円)近くに上り、99%は民間からの寄付だ。
 しかし、組織の拡大については内部でも異論がある。
 「私たちは今や大きな官僚機構になってしまった。現地に派遣されたスタッフは、サポート部署に報告書やエクセル表を出せと、せっつかれている」とMSFフランスのメゴ・テルジアン会長(51)は話した。
 MSFの医師、ブリジット・バセ氏は、MSFフランスがいまだに全てを決めているわけではないが、「膨大な資力・人力を提供してきた必要悪だ」と評した。

■MSFの今後の役割は?
 MSFの役割は、今後どのようなものになるのだろうか。
 MSFの組織の慣行は変化し、支援の必要性はますます高まっている。一方で、助けが必要な人々の元に向かうのが困難なことも多く、イスラム過激派の襲撃からスタッフを守るのは最優先課題だ。
 「自然災害が発生した時に大規模な支援を実施できる国も増えてきた」とテルジアン氏は指摘する。
 「MSFはこれからも人の役に立つだろうか。ひょっとすると今後は、現地の団体をサポートする組織になっていくのかもしれない」【翻訳編集AFPBBNews】

〔AFP=時事〕(2021/06/29-14:08)
2021.06.29 14:08World eye

In gang-ridden Haiti, Doctors Without Borders hospital vital for poor


The cloud of dust in the air in front of the Doctors Without Borders hospital in Haiti's capital is actually a good thing -- it shows that the gangs who normally rule over the area are not present, and so traffic is circulating.
It's a tough area, summarizes Frandy Samson, the head of medical operations for the emergency clinic run by the Nobel peace prize-winning charity since 2006 in Port-au-Prince's Martissant neighborhood.
Once a leafy district, the hills in Martissant that descend to the Bay of Port-au-Prince have been overtaken with shoddy, chaotic homes built every which way.
Long ignored by local officials, the urban jungle is now effectively under siege by armed gangs, which are in near-constant battle for control of the densely populated area.
Of course, there are clashes between gangs, but our security depends on the quality of care that we provide, and the way we work together with the community, says Samson, who is an orthopedist by training.
Even if there is gunfire, you'll see that in the emergency room, the work goes on.
- Gunshot and knife wounds -
The constant flow of patients at the entrance gate proves the hospital -- the only one in the capital to take emergency cases free of charge -- is popular with locals.
We see car accident victims, and also serious traumas -- gunshot wounds, knife wounds, Samson says.
The back of his shirt soaked in blood, James Chery complains about having had to wait for his head injury -- the result of a fight with his female partner -- to be stitched up, but he nevertheless thanks the hospital staff for their help.
At other places, this would cost a lot of money, says Chery, who is in his 30s, giving the thumbs-up to the clinic.
The disparity in access to health care highlights the stark inequalities that are rife in Haitian society.
While a moneyed few head to Florida for weekends to get the coronavirus vaccine and relax, most of Haiti's population lives under the poverty line, and many of those do not have enough to eat.
- 'Getting worse' -
Given that the government devotes less than five percent of its budget to health care, non-governmental organizations like Doctors Without Borders -- widely known by its French initials, MSF -- have tried to bridge the wide gaps, taking over entire parts of the health care infrastructure.
For three decades, MSF has answered the call, caring for Haitians suffering through everything from earthquakes and cholera outbreaks to rape and serious burns.
It's an emergency that is lasting, and that is getting worse. For 30 years, people have become poorer and poorer, and access to health care is more and more expensive, says Walter Lorenzi, head of MSF Belgium's mission in Haiti.
The criminal gangs have tolerated MSF's presence in Martissant, but the group still has to deal with increasing security risks in the Haitian capital.
An MSF employee was fatally shot recently as he headed home.
It was an extremely sad incident of urban violence, but he was not targeted because of his connection to MSF, Lorenzi said.
- Under fire, no ambulances -
With only 11 beds, the Martissant clinic every day must face the challenge of referring patients who need surgery to other facilities.
Either there is no space or we have worries about access -- if there are shots fired, no one can get through, says Samson.
Nevertheless, in recent times of political crisis in the city, MSF's ambulances have always been able to get past the barricades.
After 30 years in Haiti, Lorenzi says there is no question for now of MSF leaving any time soon, saying such a move would indicate a far worse deterioration in security conditions.
Haiti is an emergency that is lasting, but it's still an emergency, Lorenzi said. We're not going to leave just like that.

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