帰らぬ娘「この海に」 待ち続け、捜索見詰める母―東日本大震災10年・宮城
「この海のどこかに娘はいる」。東日本大震災から間もなく10年となる2月。宮城県女川町で、1人の女性が赤とピンクに彩られた花束を堤防に手向け、沖合で行われる行方不明者の捜索を祈るように見詰めていた。
石巻市の成田博美さん(60)の一人娘絵美さん=当時(26)=はあの日、勤め先の七十七銀行女川支店で、屋上に避難していた12人の同僚と一緒に津波にのみ込まれた。1人は海上で救助されたが、4人が死亡し、絵美さんを含む8人はいまだに見つかっていない。
石巻市で生まれ育った絵美さんは、当時新婚3カ月で、実家近くのアパートに夫と2人で暮らしていた。家族思いの絵美さんは、初孫を心待ちにしていた博美さんに「赤ちゃん3人つくるからね」とうれしそうに話していたという。
あの日の朝も、絵美さんはいつものように出勤前に実家に立ち寄った。朝ご飯を食べて手作り弁当を受け取り、おばあちゃんと博美さんに見送られて女川町の職場に向かった。それが博美さんの見た絵美さんの最後の姿だった。
「忘れることなんてない。冷たい水で手を洗うたびに『絵美は寒い思いをしたのかな』って思い出す」と涙ぐむ。博美さんは「どんな形でも見つけてあげて、抱きしめたい」と、警察や海保による捜索に必ず立ち会う。週末には絵美さんが好きだった手作り弁当を持って女川湾に出掛ける。契約を続けている絵美さんの携帯に、「ごめんね。必ず会おうね」と毎日メールを送る。
博美さんは「町もきれいになって、震災なんて本当にあったのかというくらい。それなのに絵美がいないのかと思うと、かえって苦しくなる」と打ち明ける。「毎日同じ思いで、同じ苦しみで。自分で消化するしかないんだけどね」と寂しげにつぶやいた。
震災による行方不明者は2525人。帰りを待つ家族の思いは、何年たっても変わらない。(2021/03/11-13:32)
10 Years On: Woman Still Waiting for Daughter Lost in Tsunami
Hiromi Narita was watching an offshore search operation conducted last month, almost 10 years after her only daughter was swept away by the huge tsunami caused by the 9.0-magnitude earthquake in March 2011.
"My daughter should be somewhere in the sea," Narita, 60, said as she laid a bouquet of red and pink flowers on a levee in the Pacific coastal town of Onagawa, Miyagi Prefecture, northeastern Japan.
On March 11, 2011, her daughter, Emi, then 26, was engulfed by the tsunami after evacuating with her 12 colleagues at 77 Bank to the roof of the building that housed the bank's Onagawa branch.
One of them was rescued, but four were killed in the tsunami. Eight others, including Emi, remain unaccounted for.
A decade after the catastrophe, a total of 2,525 people are still unaccounted for in disaster areas.
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