医師に性被害受けた孫が薬物過剰摂取で死去 祖父母が語る苦しみ 仏
【サンジェルマンAFP=時事】フランスで年金生活を送るローラン・ビネさん(78)は、10歳だった孫のマティスさんが腹痛を訴え、ジョエル・ル・スクアルネック医師(74)に診てもらわなければ、今も生きていたはずだと確信している。≪写真は、フランス西部サンジェルマンで、亡くなった孫マティスさんの写真を見つめるローラン・ビネさんとモリセットさん夫妻≫
小児性愛者のル・スクアルネック被告は、患者299人に対する性的暴行やレイプの罪に問われている。マティスさんは、そのうちの一人だった。
マティスさんは24歳の時に薬物の過剰摂取で亡くなった。2月24日に行われた公判の初日には、祖父母のローランさんとモリセットさんが孫の代理で出廷した。
ビネさんらは、孫が性被害を受けた事実にすぐ気付かなかったことに今でも罪悪感を覚え、苦しんでいると語る。2人とも心療内科にも通っているという。
「悔やまない日は一日もない。『おまえは何かを見逃した。(孫に対して)適切な時に適切な質問をしなかった』」と自分に問いかけてしまうのだとローランさんは言う。
ローランさんは裁判所に赴く前、フランス西部にある自宅で、笑顔を見せる10歳のマティスさんと、性被害の影響に苦しんでいた頃のマティスさんの2枚の写真を見せてくれた。
2007年6月14日、当時10歳だったマティスさんが嘔吐(おうと)したため、ローランさんは孫の父親と共にフランス西部カンペルレの病院に行った。
担当した医師がル・スクアルネック被告だった。
マティスさんは当時のスクアルネック被告の印象について、「落ち着いていて、感じが良かった」と語り、「『付き添う必要はありません、問題があれば連絡しますから』と言われ、私たちを落ち着かせてくれた」と振り返った。
マティスさんは経過観察のために一晩入院することになり、ローランさんらは帰宅した。
■アルコールと薬物におぼれるように
退院したマティスさんは、入院時のことを何も言わなかったが、徐々に以前とは違う行動を取り始めるようになったとモリセットさんは話す。
「四六時中シャワーを浴びていた」
「攻撃的になった。誰かとけんかしたのだろうと思ったが、私たちには話さなかった。思春期だからだろうと思っていた」と説明した。
やがてマティスさんはアルコールと薬物におぼれるようになった。
そして受診から10年以上たった2018年。警察から、20代になっていたマティスさんはル・スクアルネック被告の被害者の一人だと知らされ、自身に関する日記の記述を読み上げられた。
マティスさんは、元医師を訴えるために弁護士に相談した。ローランさんによると、マティスさんは弁護士事務所に1時間半以上いたが、「出てきた時は、取り乱していた」という。
だが、自分がどんな被害を受けていたかは祖父母には話さなかった。
■憎しみを裁判で叫びたい
ビネさん夫婦によると、マティスさんの精神状態は年々悪化し、2021年に薬物の過剰摂取で亡くなった。
ル・スクアルネック被告はその前年、めい2人を含む子ども4人を性的虐待した罪で有罪を言い渡されていた。
ビネさんらは今回、ル・スクアルネック被告に対する新たな民事訴訟の当事者となって、初めて孫に何が起こったのかを知った。
また、2005年に児童の性的虐待画像を所持していた罪で執行猶予付きの禁錮4月の有罪判決を受け、同僚らが懸念を示していたにもかかわらず、その後も数十年にわたってル・スクアルネック被告が診療行為を続けていたことも知った。
モリセットさんは公判を前に「(有罪判決を受けた後)に復職するべきではなかった」と話し、当局がル・スクアルネック被告を止めるために十分な対策をとらなかったと非難した。
公判に出席するのは、孫の代わりに正義を求め、孫を虐待した男をこの目で見るためだとモリセットさん。
「マティスになんてことをしてくれたんだと、憎しみの気持ちを本人の前で叫びたい」と語った。【翻訳編集AFPBBNews】
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