平和賞「ゴールではない」=担い手高齢化、記憶継承に課題も―受賞決定の日本被団協
ノーベル平和賞を受賞する日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が1956年に結成されて以来、全国の被爆者は一丸となって「核兵器廃絶」を訴えてきた。ただ、被爆者の平均年齢は85歳を超え、当時の記憶が薄い被爆者も運動の中心的な担い手になっている。継承が課題となる中、被爆者は「受賞はゴールではない」と力を込める。
日本被団協の顔となる3人の「代表委員」には広島、長崎両県と関東地方から選ばれた被爆者が就任している。3人の中で、原爆投下時のことを鮮明に記憶しているのは関東の田中熙巳代表委員(92)=埼玉県新座市=だけだ。
田中さんは13歳の時に長崎市で被爆。焼死体で見つかった伯母を含め親族5人を失った。「石ころや丸太ん棒のようになった」遺体や、放置された大勢のけが人を見たといい、「死者の姿が脳裏に焼き付いている。惨状を目撃した最後の世代で、生きている限り実態を伝える」と強調する。
被爆当時、広島の箕牧智之代表委員(82)=同県北広島町=は3歳、長崎の田中重光代表委員(84)=長崎市=は4歳だった。重光さんは「記憶がはっきり残っている被爆者は動けなくなってきている。被爆2、3世を中心に継承し、運動を長く続けることが課題だ」と話す。
東京都港区にある日本被団協の事務所で、各都道府県組織との調整や政府との交渉に当たる事務局メンバーは最年長でも被爆当時7歳だ。国連での証言も担うが、当時幼かったり、母親の胎内で被爆したりし、「記憶がない」被爆者もいる。
事務局次長の和田征子さん(81)=横浜市=は1歳の時に長崎市で被爆し、一緒にいた母親が話していた体験を証言している。「初めて知った」といった感想に触れるたび、「記憶がない者でも話さなくては」との思いを強くしたという。「受賞はゴールではなく、核廃絶が目標。さらに必死に伝えていく」と語った。
[時事通信社]
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